グーグルより20年早い
森田と同じ未来を見ていたのが江副である。江副は1960年に大学新聞向けの求人広告を取り扱うベンチャー企業を立ち上げた。その後、求人情報の専門誌『就職情報』を作り、親や教授のコネしか伝手がなかった大学生に新たな就職の道を拓いた。
1980年代にバブル経済の波が押し寄せると、大企業は優秀な人材を奪い合った。大企業の人事部にとって、『就職情報』は採用のバイブルになる。
江副はそこから住宅、中古車、旅行、転職とジャンルごとに広告を集めた雑誌を創刊していく。それは「情報誌」と呼ばれ、「売り手優位」とされてきた市場で、消費者、利用者が商品・サービスを比較できるようにした。情報の民主化である。
企業にとっても家や車を買いたいかどうか分からない100万人より、買いたがっている1万人に届く方が費用対効果は高い。現代でグーグルの収益源となっている検索連動型広告を紙の情報誌でやったのが江副である。まさに起業の天才だ。
「情報が人間を熱くする」
江副の逮捕直前、2週間だけ流れたリクルートのCMだ。質量を持たない「情報」がビジネスの本流になる。江副はそのパラダイムシフトを見抜いていた。さらに1985年、同社の幹部を集めてこう叫ぶ。
「All Hands on Deck」
海軍用語で「総員配置につけ」の意味である。
「紙の情報誌の時代はもう終わりだ。これからすべての情報はコンピューターに蓄えられ、通信回線を介して利用者に届けられる」
江副はそう語り、情報誌ビジネスを「オンラインに変えるぞ」とぶち上げた。日経のデータバンク構想と酷似している。
江副と森田の考えに共鳴したもう一人が、民営化した旧電電公社、NTTの初代社長・真藤恒だ。石川島播磨重工業から乗り込んだ真藤は公社体質の改革だけでなく、通信の未来も見据えていた。