学生と共同でSNSを盛り上げるというプロジェクトのタスクが軒並み目標未達だったある大学教員は、「学生の管理は難しくて、なかなか予定していたタスクも消化できず……」と会議の場で報告。その理由を問われると「学生のモチベーションが低くて」「学生のやる気や能力不足が原因です」と、責任転嫁し、自分の教育力不足の可能性には一切触れませんでした。
自分の至らなさを口走ると、原因追及や改善要求が飛んでくることを予見するのか、防衛本能が発動し、自分への批判をかわす策に出ます。
「学生に任せるリスクは多いと思いますので今後は検討課題かと思います。それと、この話に関連するんですが、最近は学生スタッフの出来がイマイチですよねー。正直、高校生は教員の授業よりも、先輩である在学生を見て入学を決めているのが確実です。ところが、学生スタッフが教育されていません。これは問題だと思います。もっとイキイキした在学生やテキパキ動ける在学生を投入すべきです」
こうして、話題転換を図ります。今、多くの大学ではオープンキャンパスなどのイベント時のスタッフを学生が務めているのですが、彼らのオモテナシがイマイチだというのです。その学生を日々教育しているのが自分たちだということも忘れて。
この手の大学教員は、学生については語りますが、学生に向かっては語り掛けません。他人には努力せよと注意しますが、自分では努力しません。「隗より始めよ」がセオリーのはずが、一向に隗より始めない。
学生の成績をつけ間違える教員も
ある大学の教員は、学生から「成績が絶対におかしい。提出物を出したのに単位が貰えないのはおかしい」と抗議を受けましたが、全く取り合いませんでした。それどころか、「センセイに間違いがあるとでもいうのか。与えられた結果に文句を言うでない」とお説教を始めたのです。
しかし、その後、年末の大掃除をしたときのこと。学生のレポートがその教員の引き出しの奥から出てきてしまいました。関係者は唖然。しかし、振り上げた拳の行き場に困ったのか、その教員は頑なに詫びませんでした。
この学生は無事卒業できたものの、この事実を知ったら憤慨するでしょう。医療ミスは事件になるのに、教育ミスは揉み消されます。