中川淳一郎のビールと仕事がある幸せ

多摩地区の交通の要衝として人気の街・立川、出身ライターが振り返る“怪しさ満点”だった時代「闇夜に厚化粧の老婆が浮かび上がって…」

1983年、立川市に昭和記念公園が開園した当時の周辺(時事通信フォト)

1983年、立川市に昭和記念公園が開園した当時の周辺(時事通信フォト)

闇夜に厚化粧の老婆の顔面が浮かび上がってくる

 大学生になってから南口の知人宅に行くようなことはあったのですが、1995年ぐらいには、まだ怪しい雰囲気が残っていました。キャバクラ、ゲームセンター、バッティングセンターが立ち並び、怪しい雰囲気が満載だった。歩いていると酔っ払った40代と思われる水商売の女性がアタリメのニオイを口から発しながら「お兄さん、私とホテル行かない?」なんて誘ってきたこともあります。

 南口のことを書きましたが、北口にもそれなりにヤバいところはありました。私は会社に行く際、自転車を伯父のオフィスにある自転車置き場に毎度停めていたのですが、そこに行くにはとある通りを通る必要があった。夜、そこを通ると、建物と建物の間に椅子を置いて厚化粧の老婆が座っている。恐らく70代後半でしょうが、その老婆が「お兄さん、遊んでいかない?」と誘ってくるのです。

 闇夜に厚化粧で顔面が白く浮かび上がってくるこの老婆の迫力が毎度すさまじく、私は「これが立川だ!」と恐ろしさを感じていたわけです。

 あれから年月が経ち、今ではすっかり街も発展して人気の街になりましたが、立川の本質的なところには、どこか説明しがたい“怪しさ”が残っていると思います。というより、なんでここまでイメージが上がったんだ?と今はギョーテンしております。

 でもあの怪しかった立川は、それはそれで魅力的だったね、と“ないものねだり”をする気持ちもあるのですから、不思議なものです。

【プロフィール】
中川淳一郎(なかがわ・じゅんいちろう):1973年生まれ。ネットニュース編集者、ライター。一橋大学卒業後、大手広告会社に入社。企業のPR業務などに携わり2001年に退社。その後は多くのニュースサイトにネットニュース編集者として関わり、2020年8月をもってセミリタイア。著書に『ウェブはバカと暇人のもの』(光文社新書)、『縁の切り方』(小学館新書)など多数。最新刊は『日本をダサくした「空気」』(徳間書店)。

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