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シャープ「アクオス」誕生の立役者、町田勝彦・元社長が分析する“日本メーカーの液晶事業が苦境に陥った要因”

シャープの大阪・堺工場から初出荷された液晶パネル(2009年/時事通信フォト)

シャープの大阪・堺工場から初出荷された液晶パネル(2009年/時事通信フォト)

元社長が予見していた“液晶の衰退”

 ただ、町田氏は当時から液晶の衰退を予見していたという。

「2000年頃に『日本の液晶が続くのは2010年まで』と話したのを覚えている。エレクトロニクス業界は技術革新でどんどん変わる。いつまでも同じ技術があるわけない。液晶パネルを今後もやりたいなら、使い道となる新しい電子機器を考えないといけない。テレビを見る人が減った今、同じものを追いかけてもしょうがない気がします」(同前)

 シャープのみならず、日本メーカーの液晶事業が苦境に陥った最大の原因は、海外勢がみるみる台頭してきたことだった。

「開発した技術を特許や契約で守ろうとしても抜け道がある。人が動く限り、技術の流出を止める手立てはなかった。国家資本が入る中国の企業が工場を建てて生産を開始したら、もうあかんなと。液晶しかり、電気自動車しかり、日本の民間企業が価格競争で勝つことはできません」(同前)

 そう語る町田氏だが、シャープの今後については望みを捨てていない。

「チャンスは必ずある。創業者から続くシャープの伝統は『世の中にないものをつくる』。オンリーワンを目指せば、技術メーカーは必ず生き残れる。そう信じています」

 シャープペンシルや液晶表示電卓など、シャープは独創性こそ伝統だった。今後の成否の鍵を握るのはやはり、“目の付けどころ”にほかならない。


■〈【全文公開】シャープの“液晶敗戦”と栄枯盛衰年表 工場勤務社員たちの想いと町田勝彦・元社長が語る「失敗の本質」〉を読む

※週刊ポスト2024年6月7・14日号

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