小学校卒業後、名門といわれる地元の私立中学に合格して母を喜ばせた。しかしクラスで苛烈ないじめに遭い、精神に不調をきたして不登校になり、1年生の終わりに中学を退学。母の期待に応えられず、人生を「詰んだ」と感じた。
「母の望んだ人生を生きられなかった自分が価値のない人間に思えたし、幼少期のフラッシュバックにも悩まされ、引きこもり生活はとにかくつらかった。当時はすでに体格が母をしのいでおり、それまでの思いをぶつけるかのように母に暴力を振るい、“あのとき、虐待したでしょう”と問い詰めました。しかし、母は決して認めようとしませんでした」
「母を捨てたら終わりではなく、そこからが本当のスタート」
苦しみながらも引きこもりからようやく脱し、ギリギリの学力で高校に何とか進学した菅野さんは、虐待を生き延びたサバイバーたちが親への憎しみと決別を綴った『日本一醜い親への手紙』という小さな本と出会う。
「それを読んで、はじめて“親を憎んでもいいんだ! 嫌いになってもいいんだ!”と思うことができたんです。誰にも打ち明けられない母への愛憎と葛藤を抱える私には、まさにその本はバイブルでした。自分はおかしくないという勇気が芽生えて、ボロボロになるまで読み込みました」
大学卒業後、出版社勤務を経てノンフィクション作家として独立。母の呪いに苦しむ多くの人たちを取材するうち、菅野さんは「もう母と向き合いたくない」と強く願うようになった。