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虐待サバイバーのノンフィクション作家が語る「母から自由になる、母を捨てる決心をする」に至るまでの半生

「幼少期、あんなにひどい扱いをしたのに著作が出ると母は歓喜し、私の講演先を訪れて“ウチの娘がお世話になりました”と挨拶していました。

 でも私はもうおしまいにしたかった。母と私には異様な一体感があり、私は母の期待に応えなきゃという思いがすごく強かったけれど、それは自分の肉体と心を追いつめました。日本は血縁主義が根強いですが、もう私は母の介護をしたくないし、死に目にもあいたくない。墓参りもしたくなかった。母から自由になりたくて、母を捨てる決心をしました」

 心を決めた菅野さんは信濃毎日新聞で連載していたエッセイの最終回に、母からの虐待体験を初めて書いた。これが決別宣言となり、母との連絡を一切絶った。

「いまは言わば『回復期』です。母を捨てたら終わりではなく、そこからが本当のスタート。もともと生きづらさというハンデを抱えているので、母を捨てた現実から上手に回復できなければ私自身自分を責めて引きこもったり、セルフネグレクト(自分で自分のケアができなくなる行為。“ゆるやかな自死”と言われることもある)や摂食障害を起こし、日常生活を過ごすこともままならなくなる。実際、取材した人の多くは苦しんでいた。

 承認欲求や母への思いから解放されて、一歩ずつでも自分の人生を歩みたい。それと、自分と同じように苦しむ人にひとつの道筋を立てられるよう、がんばって回復に努めています」


■〈【全文公開】最後の手段として「家族を捨てる」選択とその意義 人生の“第二章”をスタートさせるために「私はこうして“絶縁”した」当事者たちの告白〉を読む

※女性セブン2024年6月13日号

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