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【うちの社長は“競走馬”】純利益1兆円のホンダ・三部敏宏社長が推進する「伝統の破壊」 “大企業病”を脱して挑むEV転換という高いハードルへの挑戦

子会社「本田技術研究所」の改革

 大規模リコールの責任を事実上取る形で伊東氏は退任に追い込まれた。後任として2015年に社長に就いた八郷隆弘氏が「伊東路線」の後始末に追われ、各地の工場を閉鎖、車種も削減した。

 そして八郷氏が進めたのが子会社「本田技術研究所」の改革だった。

 ホンダは研究開発部門を子会社化している。本田宗一郎氏が夢のある開発を重視して、本社の業績に左右されることなく開発に邁進するために、本社から切り離したとされる。同研究所が開発して設計図を書き、試作して本社に渡し、本社が量産と販売・サービスを担う仕組みになっている。

 ところが、多額の研究開発費を使う同研究所から、優れた技術や商品を生み出せなくなっていた。こうした構造にメスを入れ、量産車を担当する部署と、失敗するリスクはあるものの夢がある将来技術を担当する部署に分割するなど体制を変えた。

 この改革を当時「研究所社長」として支えたのが三部氏だった。構造改革に目途がついた2021年に三部氏は八郷氏から社長のバトンを受け継いだ。

 三部氏が社長に就いた時点で、ホンダは構造改革という「守り」から、新事業への挑戦という「攻め」の経営に転じる環境が整い始めていた。

 冒頭の社長就任会見で三部氏はこうも語った。

「これからは、スピードが重要で、そのためには外部の知見とアライアンスの活用を躊躇なく判断していく」

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