大阪・ミナミにある“なにわの台所”黒門市場。明治末期まで近くにあった寺院(圓明寺)の山門が黒塗りだったことに由来する200年の歴史がある商店街だが、インバウンド活況により、地元から愛されてきた市場はその姿を大きく変えている。
1日3万人が訪れる観光地となった商店街だが、来客の約8割は外国人客だ。地元客の足が遠のき、古くから営業してきた店舗と外国人観光客にターゲットを絞った店舗との間で軋轢が生じているという。バブル崩壊やリーマンショックでの客足の落ち込みも乗り越えてきた商店街だが、インバウンドの波が押し寄せるなかでの苦悩もあるようだ――。
市場は千日前通りと堺筋の交差する南東の一角に位置し、東西100メートル、南北400メートルにわたる商店街。鮮魚や野菜、精肉などの食料品を幅広く揃る店舗が約170ほど集まっている。市場の飲食店店主はこう言う。
「かつては料亭や小料理店への卸をする店もぎょうさんあったんや。『黒門に行けば安くて新鮮なものがある』いうて、プロの料理人から地域住民まで多くの人が集まってきた。ところがリーマンショックで飲食店が減ってしもて、売り上げも激減した。シャッター通りになった時期もある」
「食べ歩き」で外国人観光客が増加
しかし、その数年後にビジネスチャンスがやってきた。関西国際空港に格安航空会社が乗り入れた2011年頃から外国人観光客が増加。黒門市場では商店街振興組合が中心となってインバウンド需要を取り込むためのキャンペーンを始めた。前出の飲食店店主が言う。
「商品や案内板に外国語の表記を加え、組合で英会話の勉強会をしたりしたんやで。英語、中国語、韓国語のパンフレットを作ってホテルに置いたりしたわな。いくつかの店が店内で食べられたり、食べ歩きができるような形態にしたところ、SNSやFacebookで拡散されて、外国人観光客がぎょうさん来るようになったんや」
食べ歩きをめぐっては最初の頃、「そんな行儀が悪いこと……」と後ろ向きな店もあったという。しかし、そうした店に行列ができるようになると、真似をする店舗がどんどん増えていった。鮮魚店のオーナーはこう話す。
「東南アジアでは屋台文化があり、アジア圏を中心に観光客が訪れるようになった。アーケードの下を真っ直ぐ歩けないくらいの外国人観光客が来るようになって、どこの店でも串に刺した焼き物などを売るようになった」
コロナ禍で再びシャッター通りに
商店街は賑わいを取り戻したが、その反動として財布のひもが緩んだ外国人観光客を狙った高値の商品が店頭に並んだ。それにより、「安価で新鮮」という黒門市場のイメージは崩れることになった。必然的に地元の常連客や日本人観光客の足は遠のくわけだが、その後に襲ってきたのが2020年からのコロナ禍だった。世界的に移動が制限され、外国人観光客は商店街から消えた。
「再びシャッター通りに逆戻りや。インバウンド目当てで新しく開いた店はほとんどが撤退し、昔からある店も半分以上が閉めよった。コロナ禍で外国人観光客が来なくなったら、日本人を相手にしなかったツケが回ってきた。
数千円もするタラバガニやトロの刺身を店頭で食うような日本人はおらんわな。地道にやってきた店も少なくなかったが、常連客に声を掛けても『いまさら何を言うてんねん。外国人がおらんようになったら手のひら返しか』と言われた。外国人観光客をターゲットにしたことで、失ったものは大きかったですね」(前出・鮮魚店オーナー)
一度失った信用はすぐには取り戻せなかった。ただ、廃業する店舗が増えるなかで2023年に新型コロナが「5類」に移行されて行動制限がなくなると、今度は外国人観光客が戻ってきた。すると、空き店舗にはインバウンド客だけをターゲットにした外国資本の店舗が乱立するようになり、さらに商品の値段が高くなった。
コロナ後は「KOBE BEEF」が1串4000円
本マグロの寿司が4貫で2800円、中トロとウニが入った刺身盛が5500円、ウニ丼が5000円、タラバガニの片身(足4本)が1万5000円、焼きエビ1尾2500円、アワビ8000円、生ウニ1箱1万2000円といった商品が並ぶ。
肉はさらに高く、「KOBE BEEF」と書かれた串焼きが1串4000円、和牛ステーキ肉は200グラム1万5800円だ。海老天1尾500円、カニカマ500円、野菜天500円、生姜天500円といった具合。ちなみにおでんは、牛スジ400円、ホタテ500円、タコ500円と、コンビニおでんの3倍ほどの値段だ。地元の寿司店オーナーはこう嘆息する。
「コロナ禍で苦しかった店のオーナーたちも、喉元過ぎれば……やね。また外国人観光客だけを向いて商売したら、彼らの客足が途絶えた時にまずいことになるのはわかっているはずなのに、『来年の万博でもっと忙しくなる!』と喜んでいる店ばっかりや。うちも店先で食べられるようにしている立場だが、危機感がまったくないのが自分でも怖い」
黒門市場商店街振興組合に取材すると「インバウンドに関する記事の取材はすべてお断りしている」(事務局)とのことだった。
外国人観光客と日本人常連客の狭間で、どうやって商売をしていくべきか――この回答からも、なにわの台所・黒門市場の葛藤が伝わってくる。
撮影/杉原照夫