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【パンダがつないだ日中外交史】対中感情の悪化で増えた「パンダはいらない」の声 それでも東日本大震災直後の日本を癒やしたリーリーとシンシン

1972年、来日したカンカン(左)と最後までお尻を向けたままで顔を見せなかったランラン(1972年撮影/共同通信社)

1972年、来日したカンカン(左)と最後までお尻を向けたままで顔を見せなかったランラン(1972年撮影/共同通信社)

石原慎太郎都知事の「いてもいなくてもいい」「法外な値段」発言

 日本と中国に生じた深い溝に、パンダも無関係ではいられなかった。

 2008年、上野動物園に残る唯一の生き残りだったリンリンが旅立った。直後に来日した中国の胡錦濤国家主席は、福田康夫首相(当時)との非公式夕食会で、パンダのつがいを日本に貸与する意向を表明。

 だが、リンリンの死の直後に「パンダ様々でご神体じゃないんだから、いてもいなくてもいい」と発言した石原慎太郎都知事(当時)は、中国の意向に不快感を露わにし、パンダ2頭のレンタル料に年1億円かかると聞きつけ、「法外な値段。それまでして見たいかね」と猛反発。

 2008年1月に中国製の冷凍ギョーザを食べた日本人が食中毒を起こす事件が発生して対中感情がさらに悪化していたこともあり、石原都知事の発言をきっかけに、都庁や上野動物園には、「金がかかるなら、福祉に役立てろ」「パンダはいらない」などという否定的な意見が殺到したのだ。

 膠着状態が続くなか、商店主らでつくる上野観光連盟を中心に、要望書や署名、パンダを望む子供たちの寄せ書きなどを集め、ようやく2010年2月に東京都はパンダ受け入れを表明した。

「それでも、同年9月に沖縄県の尖閣諸島沖で中国漁船が日本の海上保安庁の巡視船に衝突する事件が発生し、またしても対中感情が悪化して、パンダを歓迎しない声が日本のメディアにも目立ち始めました」

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