ビジネス

【パンダがつないだ日中外交史】対中感情の悪化で増えた「パンダはいらない」の声 それでも東日本大震災直後の日本を癒やしたリーリーとシンシン

東日本大震災直後に再びパンダフィーバー

 祝福ムードとは言えない状況下で、2011年2月、オスのリーリーとメスのシンシンが日本に到着した。その直後、東日本大震災が発生し上野動物園は一時的に閉鎖。2頭の一般公開が始まったのは4月1日だった。関係者は一抹の不安を抱いていたが、震災と福島第一原発事故のショックが癒えないなか多くの人々はパンダをひと目見ようと行列を作り、動物園は通常より15分早く開園した。『中国パンダ外交史』の著者で東京女子大学教授の家永真幸さんはこう語る。

「上野動物園が被災者をパンダ参観に招待するなどしたこともあり、2頭のパンダは疲弊した日本社会に束の間の安らぎを与えてくれました。

 2000年以降の日中間の緊張した雰囲気とは打って変わり、日本社会はパンダを歓迎し、再びフィーバーが起こったのです。これぞ、パンダの持つ魅力としか言いようがありません」(家永さん)

 風向きは確かに変わった。2017年には、リーリーとシンシンの間にシャンシャンが誕生。これまでにない盛り上がりを見せ、日中両国はパンダの誕生を祝福するメッセージを発表した。シャンシャンの命名後に中国外交部の報道官が出したコメントに中国の思惑が透けて見える。

「パンダは中国の国宝であり、中国と多くの国の人々の間の重要な友好の使者である。私たちはパンダが引き続きそのような作用をうまく発揮してくれることを望んでいる」

(第3回に続く 特集「パンダがつないだ日本と中国の50年史」全文を読む

※女性セブン2024年6月20日号

関連キーワード

注目TOPIC

当サイトに記載されている内容はあくまでも投資の参考にしていただくためのものであり、実際の投資にあたっては読者ご自身の判断と責任において行って下さいますよう、お願い致します。 当サイトの掲載情報は細心の注意を払っておりますが、記載される全ての情報の正確性を保証するものではありません。万が一、トラブル等の損失が被っても損害等の保証は一切行っておりませんので、予めご了承下さい。