トレンド

「インネパ」で働くネパール人の多くは“同郷”だった 「バグルン」から日本のインド料理店への出稼ぎが殺到するようになった複雑な背景

ネパールの「バグルン」発祥ともいえる「インネパ」

ネパールの「バグルン」発祥ともいえる「インネパ」

みんな「バグルン」出身なのはどうしてなのか?

 室橋氏が取材を進めていると「インネパ」で働くネパール人のある共通点が見えてきたという。

「話を聞くコックの多くは、ネパール中部にある『バグルン』が出身地だったのです。誰に聞いても『バグルン』と答えるので、これは実際に行って確かめてみなければと思うようになった。今回の新刊には、現地まで足を運んだ際の取材内容も収録しています」

 そうしたなかで、ネパール人たちが初めは「インド経由」で日本にやってきたという経緯や、日本にいるネパール人の出身地域に偏りがある理由が少しずつわかってきたのだという。

 昔からインドでも重要な働き手として重宝されていたネパール人。ネパール人はインド人のように「カースト」による分業意識がないため、インドの飲食店でも様々な業務がこなせる存在として重宝されていた。

「インドの飲食店で修行を積んだネパール人が、初めて日本に出稼ぎに来たのが1980年代だと言われています。インドのデリーにあるインド料理店で働いていたネパール人が、日本でコックを募集する求人広告に応募し、面接や試験を突破。1983年に来日した後、故郷の『バグルン郡ガルコット』から親戚や知人を呼び、さらに彼らも故郷の『バグルン郡ガルコット』から人を呼び寄せた。結果的に少しずつ『バグルン』から日本へ来る人が増え、それがメインルートとして確立されるようになったのです」

カレー店の話から移民問題を考えてほしい

 室橋氏は日本各地に点在する「インネパ」を取材するなかで、我々のすぐ側にある様々な「移民問題」について考えるきっかけになってほしいと考えるようになった。

「この本はエスニックファンの方々はもちろん、普段のランチの選択肢のなかに『カレー』が入っているすべての人に読んでほしい。すぐそこにあるカレー店について深掘りしたこの本がネパールの移民問題について考えてもらう入り口になればと願います」

 今ではどこの街にも溢れる「インネパ」のカレー店。だが、それぞれの店にはカレーのスパイスのように複雑な背景があるようだ。

■前編〈なぜどの店も看板商品が「バターチキンカレー」なのか? ネパール人が経営するインド料理店「インネパ」が街に溢れている秘密を解き明かす〉を読む

アジア専門のジャーナリストとして活動する室橋裕和氏

アジア専門のジャーナリストとして活動する室橋裕和氏

【プロフィール】
室橋裕和(むろはし・ひろかず):1974年生まれ。週刊誌記者を経てタイに移住。現地発の日本語情報誌に在籍し、10年にわたりタイ及び周辺国を取材する。帰国後はアジア専門のジャーナリストとして活動。著書に『カレー移民の謎 日本を制覇する「インネパ」』(集英社新書)、『エスニック国道354号線』(新潮社)、『ルポ新大久保』(角川書店)、『日本の異国』(晶文社)など。

注目TOPIC

当サイトに記載されている内容はあくまでも投資の参考にしていただくためのものであり、実際の投資にあたっては読者ご自身の判断と責任において行って下さいますよう、お願い致します。 当サイトの掲載情報は細心の注意を払っておりますが、記載される全ての情報の正確性を保証するものではありません。万が一、トラブル等の損失が被っても損害等の保証は一切行っておりませんので、予めご了承下さい。