皿盛りデザート専門店に百貨店への出店依頼が舞い込む
「お客様の目の前でお酒でフランベして焼き上げるクレープシュゼットや、最後の仕上げにバーナーで炙り焼きをするブリュレなど、その場でつくり立てを提供する日本のデザート専門店の先駆けになりました。当時はそうしたお店がなかったようで、おしゃれで最先端のお店として雑誌などメディアにも取り上げられるようになり、都内の百貨店から出店の依頼が舞い込んできました。そこから贈答品になるようなお菓子ブランド『銀のぶどう』を開発。1985年に百貨店に出店し、製造・販売がスタートした経緯があります」
皿盛りデザート専門店「ぶどうの木」から生まれた贈答用お菓子を中心に取り扱う「銀のぶどう」は、出店したデパ地下で行列ができるほど人気を博したという。1989年、社名を現在のグレープストーンに変更。この年、水面下では新たなブランド開発に着手していた。後に「東京ばな奈」に育つ“種子”が社内で撒かれたのだ。
「社名のグレープストーンは『ぶどうの種子』を意味します。この1989年から構想を始めたのが『東京ばな奈』です。実際に発売されたのが1991年の11月22日。発売まで2年かかりました」
構想から発売まで2年「東京土産をつくろう!」
東京土産として「東京ばな奈」を開発するきっかけになったのは、羽田空港からの出店の依頼だった。
「『銀のぶどう』がデパ地下での行列で注目を集め、羽田空港にも出店をお願いしたいというお話をいただきました。しかし当時、『銀のぶどう』では高価格のケーキや贈り物用の高級菓子をメインに展開しており、これを機にもっと誰もが手軽に親しめるお菓子をつくりたいという思いが出てきて、それが『東京土産をつくろう!』という動きにつながったのです」
構想から発売まで2年かかったのは、“東京土産”をゼロベースからつくり上げたためだった。
「当時も雷おこし、人形焼きといった東京の銘菓はありましたが、“ザ・東京土産”のような定番のお菓子商品、東京○○と銘打つ有名なお菓子がまだ存在しなかったこともあり、東京土産の開発に乗り出したと聞いています」
最初は土産菓子の素材を何にするかの議論から始まった。
「お土産はその土地の特産品を素材に使ったり、有名な景勝地、自然をテーマにしたりするのが一般的ですが、東京は全国から様々な人が集まる『新しいふるさと』になる場所。それならば、日本中の方々が親しみを持ち、懐かしさを感じるものをテーマにして東京土産を開発しようという方針になり、“バナナ”にたどりつきました」