いまや日本人だけでなく外国人旅行客にも“東京土産の定番”として知られるお菓子が「東京ばな奈」だ。製造・販売元はもともとは食器卸販売や本格的なフランス菓子を手がける会社だったが、そこから「東京ばな奈」がどのようにして生まれ、東京土産の定番となるまで成長していったのか──。定番菓子が誕生するまでの知られざる経緯を探った。(第1回)
“中央線の合羽橋”として飲食店向けの食器卸売販売を展開
「東京ばな奈」を手がける株式会社グレープストーン(東京都中央区銀座)が創業したのは、今から半世紀近く前の1978年7月。創業当時の社名は株式会社日本珈琲食器センターで、現在の本社がある銀座ではなく、杉並区阿佐ヶ谷で食器卸販売とともにフランス菓子を製造販売する会社としてスタートしている。そんな会社が、いつから、なぜ菓子をつくるようになったのか? その謎とルーツを探るべく、グレープストーン企画開発本部ブランドコミュニケーション部の広報担当者を訪ねた。
「弊社は阿佐ヶ谷の店舗・阿佐ヶ谷ぶどうの木から始まり、当時は“中央線の合羽橋”というキャッチフレーズを掲げ、主に飲食店への食器卸売りを行なっていました。同時に、一般のお客様にむけて『ブレイクタイム・ブティック』のコンセプトを打ち出し、テーブルウエアだけでなく、たとえばコーヒー豆や紅茶、フランス菓子、スパイスなど、生活に必要不可欠ではないけれども、あれば人生が豊かになったり、潤いを感じさせてくれたりする商品も併せて販売していました」(広報担当者・以下括弧内同)
食器を使ってもらうためのライフスタイル関係の商品も幅広く取り揃えていた同店は、そのコンセプトの一環で、オープン時から自家製の本格的なフランス菓子も販売。「美味しいフランス菓子の店」として評判になり、1979年4月、創業初のスイーツブランドとして皿盛デザート専門店「ぶどうの木」を開設した。
「皿盛りデザート専門店を始めたのは、創業者の荻野惇社長(現・最高顧問)の「フランス料理のフルコースを注文しなければ食べられない、コース最後に出てくる皿盛りデザートの美味しさを広く知ってほしい」との思いから、そのデザートだけを単独でオーダーできる業態を考案したという。そこからどう「東京ばな奈」につながっていくのか──。