「1953年に店を建て替えた時に喫茶店としての営業を終え、中華そばと日本蕎麦という食事系メニューをメインに据えました。こちらも初代が、戦後の日本でこれから需要があるのは(喫茶よりも)飲食店だと考えたのでしょう。さらにはオムライスや、カレーライスといったハイカラな洋食もとりいれ、“なんでもあり”の町の食堂として賑わっていたと聞いています」(同前)
集客に長けた初代・五郎さんは、当時人々の憧れの的だった白黒テレビをいち早く購入すると店内でプロレス放送を流し、店はそれを目当てにやって来るお客さんで大いに賑わったそうだ。
ある日「昔、取調室でカツ丼を食べました」という電話が…
「高尾亭」が出前を始めたのは1950年代前半のこと。78歳になる二代目店主・信吾さんも警察に出前したことがあるという。信吾さんが振り返る。
「いまJR立川駅の北口にある立川警察署はもともと南口にあって、うちの店に近かったんです。当時の出前の売り上げは警察が7割、残りが近所の会社や学校で、大部分を警察が占めていました。そして、警察への出前で人気だったのはカツ丼と天丼でした。
なぜ丼が人気なのかというと、蕎麦は時間とともに伸びておいしくなくなってしまうけど、丼ものは冷めても食べられるから、といった話を聞いたことがあります。また昔の出前は蕎麦や寿司がほとんどで、立川ではうちのように丼ものを運ぶ店は珍しかったことも警察に選ばれた理由の一つでしょう」(信吾さん)