私は心して、慎重に、最初の品を頼んだ。
「ビールと餃子ください」
なんともおとなしい、控えめすぎる頼み方だ。
しかし、これでいいのだ。なんとなく手元が淋しいような気もするのだが、私が座った席は、調理場のすぐ近くだ。炒め物やチャーハンをつくるたび、調理担当のオヤジさんが勢いよく振る中華鍋から、具材の弾ける耳に心地いい音響いてくる。中華食堂的な店で飲み食いをするとき、この、調理の臨場感はおいしさのひとつだ。
ほどなくして出てきた餃子をさっそくいただく。口の中で、熱々の餡から肉汁がじわりと出てくる。舌をやけどしそうなほど熱いこのタイミングが焼き餃子の真骨頂だろう。うんうん、とひとり頷きながら、ビールをひと口、ふた口……。
ふーっ。うまいねえ。
この日は、正午から2時間の取材を終えたばかりで、少しばかり緊張するインタビューをした後だったので、たしかに喉も渇いていた。だからこそ、うまい。しかし、それがわかっているからこそ、取材後に水も飲まず、まっすぐに岐阜屋を目指したのだ。
昼酒にはこうした、確信犯的なうまさという大きな魅力がある。よく、明るいうちから飲むうしろめたさがいい、なんてことを言う人もいらっしゃるが、私にうしろめたさはない。私は昼酒のうまさを確信しているのである。
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