〈天下の地、ことごとく一の家の領となり、公領は立錐の地も無きか〉──放送中のNHK大河ドラマ『光る君へ』にも登場する右大臣・藤原実資は、全国に急増する私有地「荘園」について自身の日記『小右記』にそう書き残している。歴史作家の島崎晋氏が「投資」と「リスクマネジメント」の観点から日本史を読み解くプレミアム連載「投資の日本史」第5回は、藤原道長の摂関政治の時代に転換を迎えた地方政治について解説する。(第5回)
「すべて道長様のお計らいだ。そしてそれは道長様のお前への思いとしか考えられぬ」──これは『光る君へ』の第20回「望みの先に」(5月19日ほか放送)の中で、藤原為時(岸谷五朗)が娘のまひろ(吉高由里子)に対して放った言葉。正六位上から従五位下への昇進に加え、淡路守改め越前守への叙任(じょにん/官職に任ずること)がなされたのは、ひとえにまひろのことを恋い慕う道長(柄本佑)の計らいと言うのである。
このとき為時が就任した国守とは国司(地方官)の長官であり、受領(ずりょう)、受領国司とも呼ばれる。平安時代の全国68か国は人口や面積、実入りなどを基準に大・上・中・下の四等級に分けられ、淡路国は下国、越前国は大国で、4年の任期中に蓄えられる私財に雲泥の差があった。
作中ではそうした“実入り”のことには触れられず、まひろが為時の越前守補任(ぶにん/官職への任命)を画策したのは、漢籍に明るく、宋語(宋代の中国語)も自在に操れる為時には、宋商が多く居住する越前のほうが相応しく、為時以上の適任者は他にいないと考えたから。私利私欲からではないとの設定だった。
そのあたりの実情はどうあれ、為時の越前守補任に道長の意思が働いていた可能性は高く、だとすれば道長と紫式部の個人的な関係性にかかわらず、為時は道長に対していたく恩義を感じたはず。一方の道長にしてみれば、これも一族繁栄を意図した投資の一つ、それも小口で、為時が感謝の念をひとつでも行動で示してくれれば成功と言えた。
「実入りのよい国の受領」人事にチラつく権力者の意向
国守の叙任がなぜ投資と呼べるのか。それは9世紀末に始まる税制及び地方行政改革と関係する。
国守の権限と役得は9世紀末までと10世紀以後では雲泥の差が生じた。元来の国司は守・介(すけ)・掾(じょう)・目(さかん)の4等官からなり、中央から派遣された任期6年の4人が現地での徴税と中央への納税に関して連帯責任を負った。
これが9世紀末から10世紀初頭の改革により、中央から派遣されるのは国守のみで、徴税と納税義務を負うのも国守のみに限定された。その任期は4年に短縮され、介・掾・目は守が現地の有力者を採用する形となった。歴史上、これをもって受領の誕生とする。