島崎晋「投資の日本史」

【藤原道長と荘園】「実入りのよい国の受領」に家来を派遣して手に入れた「地方の権力基盤」 そこには政治力・人事権・財力の循環が欠かせなかった【投資の日本史】

 従来、人を単位に課せられた租税も土地単位に代わり、税率も従来の何分の1レベルまで下げられた。国守にはあらかじめ中央に納めるべき数値を提示して、それを満額満たせば、残りは私物化できるようにしたのである。これにより受領は俄然目の色を変えた。日本中世史を専門とする伊藤俊一(名城大学教授)はその変化の様を著書『荘園 墾田永年私財法から応仁の乱まで』(中公新書)の中で、〈摂関期の受領は、任国の専制君主として自由に手腕を振るい、莫大な収入が得られるやりいがいのある官職になった〉と説明している。

 受領が美味しいポストとなれば、誰もがなりたがるのは自然の流れだが、候補に名を連ねるには公卿からの推薦が不可欠だった。

 日本古代史と唐代を専門とする大津透(東京大学教授)は著書『道長と宮廷社会 日本の歴史06』(講談社学術文庫)の中で、〈天皇や摂関・一上(最高位の貴族)に最終的任命権はあるが、けっして恣意的に決められたわけではなかった〉、〈道長に気に入られるだけでは受領になることはできなかった〉はずとしながら、〈受領の間でも多くの受領を歴任するには権力者の意を迎えることは不可欠だった〉、〈除目(官職任命の儀式)の場合、任命権者の意思が入ってくるのは、旧吏の中でだれを受領に任ずるとか(とくに臨時欠を埋める場合)、特定の人をどこの受領にするかという選択である〉、〈近江国のような実入りのよい国の受領には摂関家家司が連続して任命されるという形で、権力者の意向が人事にあらわれる〉と、権門勢家(摂関家や有力寺社)による恣意の入る余地があったことを認めている。

【※引用文〈 〉内の( )は引用者による。以下同】

因幡国の受領となった橘行平が左上の輿に乗り任国に向かう様子(東京国立博物館所蔵「因幡堂薬師縁起絵巻」出典:ColBase https://colbase.nich.go.jp)

因幡国の受領となった橘行平が左上の輿に乗り任国に向かう様子(東京国立博物館所蔵「因幡堂薬師縁起絵巻」出典:ColBase https://colbase.nich.go.jp)

リスク回避にも余念がなかった道長の人事介入

 ここに出た「家司」とは、官位が三位以上の公卿の家で家政を司った職員のことなので、摂関家の家司はすべて道長の家来と見て間違いない。道長は摂関家家司が受領、それも大国の受領になれるよう最大限の後押しをしたのだろう。

 受領を拝命した家司は任国で得た馬や特産物の定期的な献上に加え、道長が新たに私邸や寺院を建設するとなれば、労働力と資金を提供した。仏事など摂関家の私的な行事がある際にも同様の奉仕を怠らない。彼ら摂関家家司による無償の奉仕こそ、摂関家の台所を支える最大の柱でもあった。道長による人事への介入を投資とするなら、摂関家家司による無償の奉仕はそれへのリターンと見なすことができる。

 道長に奉仕をしたのは摂関家家司だけではない。受領を拝命した貴族は赴任に先立ち、天皇のもとへ挨拶に伺うのが決まりで、「罷申(まかりもうし)」と呼ばれた。天皇への罷申が終われば、次は摂関・左右の大臣・その他の公卿にも罷申をしなければならず、その際に道長は自身の家司か否かに関係なく、餞別として馬を贈るのを倣いとした。餞別に馬を贈ったのが道長だけではないが、同じく馬であっても、受け手の感情は同じではなく、道長との関係を深めるに絶好の機会として、何らかの奉仕を志願する者が何人か出てくれば、道長としては、それだけでもしめたものだったと考えられる。

 一見、道長には死角がなかったように思えるが、実のところ、大津前掲書に、〈一条天皇のチェックが厳しく、道長もおかしな申文(上申書)はあらかじめやりなおしさせ、そのうえで前回と異なる理由について詳しい説明が求められた〉とあるように、道長も天皇からの信頼を裏切らぬようリスクの回避に余念がなかった。

 また、古代政治史を専門とする倉本一宏(国際日本文化研究センター教授)は著書『藤原道長の日常生活』(講談社現代新書)の中で、〈道長は、両論を併挙して奏聞するという陣定(公卿の合議)の基本的なルールに則ることなく、自己の意見に有利な事実のみを一条の耳に入れた〉、〈日常的な陣定においては、道長もその意向を押し通すということは少なかったが、重要な事項や、自己の権力に関わる事項になると、天皇の最終決定に大きな影響力を行使することになる〉などとし、道長の政治手腕のほどが見て取れる。

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