島崎晋「投資の日本史」

「平氏にあらずんば人にあらず」の世を築いた平清盛 “瀬戸内海の掌握と治安維持”は投資であると同時にリスクマネジメントでもあった【投資の日本史】

京都市左京区にある平安時代の遺跡「花背別所経塚」から出土した宋銭(東京国立博物館所蔵 出典:ColBase https://colbase.nich.go.jp)

京都市左京区にある平安時代の遺跡「花背別所経塚」から出土した宋銭(東京国立博物館所蔵 出典:ColBase https://colbase.nich.go.jp)

 平清盛自身は一門都落ち以前に病死しているが、清盛について総括するなら、武士として初めて海外貿易に関与したことが最大の業績で、これは鎌倉・室町幕府に受け継がれた。

 日宋貿易を通じて大量に流入したのが宋銭で、鎌倉時代には全国で貨幣として利用されるようになり、鎌倉時代末の1320年代には宋銭による納税が全体の過半数を占めるまでになった。これこそ清盛が行なった投資の最大のリターンと言える。

 また宋銭は、当初は梵鐘や仏像造りの材料目的で輸入されたとの指摘もある。宋銭の大量流入が鎌倉時代の造寺造仏に直結したのであれば、鎌倉仏教の成立に代表される仏教界全体の活性化も清盛の陰徳、隠れたリターンに数えてよいのかもしれない。

(シリーズ続く)

【プロフィール】
島崎晋(しまざき・すすむ)/1963年、東京生まれ。歴史作家。立教大学文学部史学科卒。旅行代理店勤務、歴史雑誌の編集を経て現在は作家として活動している。『ざんねんな日本史』、『いっきにわかる! 世界史のミカタ』など著書多数。近著に『呪術の世界史』などがある。

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