9月24日に90歳の誕生日を迎えた作家・筒井康隆氏。「不良老人」として人生論を披露してきた筒井氏に卒寿の心境を尋ねる……はずが、筒井氏から予想外の返答が。今春、神戸市の自宅で転倒したことをきっかけに、老人ホームに入居したというのだ。筒井氏がその経緯を語る。【全3回の第1回】
「健康寿命が伸びた」
ひどい目に遭いましたよ。あれは4月4日だったかな。突然、家の廊下でぶっ倒れまして。頸椎をやられて、身体が麻痺してしまった。倒れる前日、89歳の4月3日までは、ピンシャンしていた。いつも通り、あっちゃこっちゃ出かけておったんですが、4日に倒れて、まぁ、一瞬にしてこのざまですよ。
〈卒寿を迎える半年前の出来事をそう振り返った筒井氏は、インタビューに応じた老人ホームの一室に、車椅子に乗って現われた。軽妙な語り口は以前と変わりないが、頸椎の負傷と入院は壮絶な体験だったと語る〉
麻痺でもう、全身が思うように動かない。それで近くの病院に入院することになった。入院の前にご馳走を食べておかないともう食えないかもしれないと思って、お寿司やら刺身やらを二晩続けて食べた。そこまでは良かったが、入院してえらい目に遭いましたよ。何やらあちこちが痛くて、苦しくて、悲鳴を上げてね。「助けてくれ」って言っても、看護師が廊下で笑っている。ひどいところでした。思い出したくもないです。
だから、もうこんなところは退院して、のんびりさせてほしいと。4月末にリハビリ病院に移って、そこで一気に良くなりましたね。リハビリを朝1~2回、昼2回とか、少なくとも午前と午後で1回ずつはやる。数え年ではすでに90歳ですから、リハビリは90歳になってからやるもんじゃないとは思ったけど、長生きのプラスになるならと随分頑張りました。健康寿命が2~3年は延びたんじゃないですかね。
ナースさんも呼んだらすぐに来てくれて、至れり尽くせりでしたよ。僕はもともと腸が人より長くて便秘になりやすいから、最初の病院でも出なかったんだけど、リハビリ病院でナースさんが浣腸してくださったら、腸のなかのすべてがドバドバーッと出たんです。長さにしたら4メートルぐらいあろうかというね(笑)。命の恩人ですよ。
ただ、これからどうしたらいいんだろうと。家に帰ったとしても、ナースさんはいないから、かみさんを深夜にいちいち起こして、尿瓶の世話をさせるわけにはいかない。いざとなったら、自分ではどの薬を飲めばいいかも分からない。そうしたら、新潮社の『波』の編集長が調べてくれて、いい施設があると。かみさんや義娘が見に来て、ここなら部屋も明るいしいいだろうということになった。8月から、夫婦一緒の部屋に入居することにしたんです。
自宅に戻りたいと思うこともたまにはありますが、パソコンは持って来てもらっているし、必要なものはありますので、帰っても特にすることがない。うちに帰れば、タバコを吸うぐらいですかね(笑)。いまはさすがに吸ってないから。タバコ、何か月も放ったらかしだから、どうなってるか分かりませんけど。
かみさんの存在
2つの病院を足して、入院生活は4か月足らずかな。思ったのは、これだけのあいだ夫婦が離れ離れというのは、いかなる理由があろうともおかしいと。かみさんは4~5日に1回とか、その頻度で見舞いに来てくれて、心は休まりましたけどね。来年で60年という結婚生活で、こんなことはいままでになかったですよ。役者として芝居で地方に行っている時も、ついて来たりなんかしてたから。
だから、入院中は寂しいんだけれども、一方ではやっぱり、自分を愛してくれている人間がいるんだということを強く思うだけでも、なんか救われるんだよね。それはもう、お互いに愛し合っていることははっきりしている。何も言わなくても、はっきりしているわけだから。この施設にも二人きりで、ということです。
施設にパソコンだけ持って来たのは、いまは文房具やら原稿用紙やらがあっても、手が痺れて字が書けないから。僕にはファンとの交流の場として、『笑犬楼大飯店』というホームページがあります。でも、入院や施設のことは『笑犬楼』でも書いていないし、いまどういった状態かも一般の読者には伝えていないんです。だからこのインタビューで、そのあたりのことを知ってもらえたらありがたいと思います。
(第2回へ続く:入院中に考えていた「いままでに書いた短篇のこと」 最後の掌編小説『カーテンコール』への反省も明かす)
※週刊ポスト2024年11月8・15日号