卒寿を迎えた作家・筒井康隆氏は今春、神戸市の自宅で転倒し、頚椎を負傷。身体に麻痺が残り、現在は老人ホームに入居した。昨年11月に自ら「最後の掌篇小説集」と位置付けた短篇集『カーテンコール』を上梓し、刊行直後のインタビューで「もう二度と小説を書くことはない」と語った筒井氏。老人ホームにはパソコンを持ち込んだそうだが、この間、小説の執筆意欲は湧いてくることはなかったのか。筒井氏が語る。【全3回の第2回】
「倒れてから考えたのは、いままでのことすべて」
入院中は、昼も夜もずうっとベッドに寝たままでしょう。リハビリ病院のベッドの上で、いままでに書いた短篇のことをずうっと考えていた。だいたい覚えていますから。いろいろと考えたけど、それでも、新しいアイディアは出てこないんです。
そりゃあ、出てくれば書いてますよ。必ず書いています。それから、いままでに観た映画の内容を反芻してね。でも、これはまだ小説に使ってないな、というアイディアもないです。過去の自分がすでに使っている(笑)。
そして倒れてから考えたのは、いままでのことすべてですね。小さい時の思い出や何やと、頭をよぎる。いま『文學界』に書いている連載は「自伝」と題してますけれど、隠し事ひとつなく開けっぴろげに書いてきて、いまは確か、大学に入ったところまで書いたかな。で、書きづらくなっちゃった。登場人物がまだ生きているから(笑)。私より年下は存命の人が多くて、ますます書けないことが増えてきますね。
この連載を書き始めてから、他の人の書いた自伝を読めなくなった。嘘に決まっているから(笑)。だけど、自分は嘘をつかないでおこうと思っています。美化ということは考えずに、醜いことも醜いままに書こうというね。
「あれから、伸輔の夢は何回も見ますよ」
〈『カーテンコール』には、過去作の登場人物が次々に登場する「プレイバック」や、故・小松左京氏や故・大伴昌司氏らSF仲間が病床の筒井氏の見舞いに来る設定の表題作「カーテンコール」が収録され話題を呼んだが、筒井氏はこんな思いを口にした〉
反省がありますよ。あの短篇集には、我ながらけっこういいものが多いんだけれども、どの書評を読んでも「カーテンコール」と「プレイバック」のことばかりが書いてある。作家の場合は、自分の生活と、その時に生まれた作品とが一緒になっていることが多いから取り上げられたんだろうけど。あぁ、しまったな、と思ってね。
そんなことを言っていてもキリがないけど、一つや二つに話題が傾いちゃうのは短篇集の弱みですよ。だから、「プレイバック」と「カーテンコール」は、エッセイ集を出して、そちらに入れてしまえば良かったなと思ったりね。
〈『カーテンコール』には、2020年に食道がんで亡くなった筒井氏の息子・伸輔さん(享年51)と夢の中で対話する「川のほとり」も収録されている。筒井氏は続けて、伸輔さんと「川のほとり」について語った〉
あれから、伸輔の夢は何回も見ますよ。あの短篇より、もっと強烈な夢もあります。そんなことばっかり書いていられないんだけれども、あまりにも何回も何回も出てくるもんだから、夢の中では『あれ、こいつ、もしかしたらまだ生きているのかな』なんて思う。
(第3回へ続く:「タバコは吸わないし、お酒も飲まなくなった。本も読まなくなりました」 醜いところをなるべく醜く見せない“老人の美学”)
※週刊ポスト2024年11月8・15日号