なぜ米国は「例外」なのか
図表1の対象国は50カ国です。IMFは先進国40カ国、途上国156カ国、計196カ国のデータを揃えています。そのうち、人口と1人当たり実質GDPのデータが揃うのは187カ国です。50カ国中、米国を除いた49カ国は人口が少ないほど豊かな暮らしをしていることになります。残りの約150カ国について、人口と豊かさの関係を調べてみましょう。
人口の大小と生活水準の間に逆比例関係があるのは187カ国中60カ国と、およそ3分の1です(図表2の第1象限49カ国・第2象限11カ国)。人口が多いか少ないかに関係なく、貧しい国が129カ国もあります(図表2の第3・4象限)。第3象限にある79カ国に関して図表1と同じように散布図を描くと、決定係数(R2)は0.0009、第4象限の50カ国でもR2は0.0036となり、両者の間にまったく相関がないという結論になります。1人当たり実質GDPが1.3万ドル(2017年国際ドル)以下の国は教育水準が低かったり、貯蓄が不足していたりするなど、成長軌道に乗るための要件を欠いているからです。
とはいえ、何事にも「例外」があります。人口と生活水準の関係で言えば、米国は図表1の傾向線Aからも、G7の傾向線であるBからも説明できないほどに生活水準が高いという点で、唯一の「例外」なのです。
そして、米国が「例外」的な存在であるのは、裏側に日本の「例外」が存在するからです。そして、米国の「例外」はシンボルエコノミー化で起きていることで、日本の「例外」はリアルエコノミーの世界での事象です。21世紀は、リアルとシンボルが交錯する世界なのです。
日本の「例外」
米国の「例外」は、ストックベースで世界最大の純債務国でありながら、フローベースで測った所得収支基準では一転して、世界最大の黒字国となることです。米国はこの事実によって、カール・シュミットの言う「全世界の債権者」になれるのです。この理論は、「私有財産は『神聖』である」という、近代社会の大前提から導き出されます。
いっぽう、日本の「例外」はゼロ金利・ゼロ成長・ゼロインフレです。これによって、はじめて米国の「例外」が成立するのです。
日本やその他の先進国の過剰貯蓄がウォール街に持ち込まれ、米国はその資金を投資リターンの高い南米やヨーロッパに投資しています。米国は低利の米国債で貯蓄超過の国から資本を調達し、海外の高収益企業に投資して、その利ザヤが世界一の所得収支黒字(2020年からは日米合わせて世界一)を生んでいます。米国が世界の投資銀行であるというのは、資本が国境を自由に越えることによって、低コストの米国債(米国の債務)で外国から集めたお金を高リターンの外国株式(米国の債権)に転換することができるということなのです。
つまり、米国の「例外」はシンボルエコノミー、日本の「例外」はリアルエコノミーでの事象です。目には見えない象徴、あるいは記号からなるシンボルエコノミーの世界は、実体がありません。目に見えない世界を見えるようにしたのが株式市場で売買される「株価」であり、株価を押し上げるグローバリゼーションは象徴経済の本質を覆い隠すヴェールです。それは思惑と貪欲さが飛びかう市場ですから、株価に理論的な上限はありません。
いっぽう、リアルエコノミーは労働者と資本の共同作業でGDPを生み出す世界なので、働いている人や工場・店舗・オフィスビルは目に見えるし、触ることができます。この世界では、これらの資本を際限なく増やしていくことはできません。