そもそも東アジア全域の流通を掌握しようという、秀吉の野望自体が無謀だったのか。そう問われたら、やはり「無謀」と答えるしかない。単純な戦力比較なら、当時の東アジアで日本軍が抜きん出た存在だったのは間違いないが、戦場はすべてアウェーだった。たとえ朝鮮半島を制圧して、明領内への侵攻を果たしたとしてもアウェーである点は変わらない。秀吉は「日本は神国」「自分は日輪の子」ということを理由に、東アジア全域に君臨する正統性を謳っていたが、国外の民にそのような理屈が通用するはずもなかった。
また戦場での勝敗や損耗に関係なく、西国大名の所領ではどこも深刻な問題が生じていた。秀吉は軍役として九州の大名には100石につき5人、中国・四国の大名には同4人の動員を課していたが、どの大名も点数稼ぎのため、規定以上の人数を揃えようと、すでに帰農していた農民まで駆り出そうとした。
ただでさえ税負担が重いところへ、生還の可能性の低い海外での軍役まで課せられるとあっては、田畑を捨てて逃げ出す者が続出するのは避けられない。「朝鮮出兵」におけるリスクマネジメントは果たされず、耕す主のいなくなった田畑は荒廃するに任され、大名の台所事情をますます悪化させることとなった。
秀吉による朝鮮出兵は略奪や捕虜の転売による利益をもたらし、拉致連行した陶工によって焼き物業界に革新をもたらしはしたが、全体としての「損失」を埋めるにはあまりに小さな戦果だった。
(シリーズ続く)
【プロフィール】
島崎晋(しまざき・すすむ)/1963年、東京生まれ。歴史作家。立教大学文学部史学科卒。旅行代理店勤務、歴史雑誌の編集を経て現在は作家として活動している。『ざんねんな日本史』、『いっきにわかる! 世界史のミカタ』など著書多数。近著に『呪術の世界史』などがある。
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