毛沢東の死と、左派の排除
橋爪:では、文革はどう終わりを迎えたか。10年間文革を続けて、共産党には、軍の古参幹部/党の古参幹部/「四人組」に代表される極左イデオローグ、の3グループが残っていました。
1976年1月に周恩来が死に、9月に毛沢東が死んだ。するとすかさず、3グループのうち、軍と党の古参幹部が結んで、極左イデオローグのグループを排除しました。極左グループは、毛沢東に抜擢されて党中央に集まっていただけで、地方にも軍にも根がなかった。だからたちまちつかまって、排除されました。共産党が、左派のイデオローグを共産党から排除するという現象が起きたわけです。
これでも共産党は共産党と言えるのか。排除された「四人組」などのグループは、共産党のなかでも選り抜きのマルクス主義、毛沢東思想の専門家で、立派な論文がじゃんじゃん書けるイデオローグです。そういう人たちはもう用済みで、消えてください、ということになった。
峯村:共産党が路線を大きく変える転機となりました。
橋爪:左派を排除した先に何が残るか。近代化と、中国の国づくりにつながるナショナリズムです。中国共産党は、中国にはそれさえあればいいのだと開き直ったんです。毛沢東がもっていた革命的ロマン主義さえいらない、と。それが、鄧小平の「改革開放」路線に流れていくのだと思います。
毛沢東の遺言によって後継者となった華国鋒
峯村:ただ、中国共産党が共産主義革命を捨てたことは、ソ連崩壊後も中国は生き残ることができた一因にもなっているのだと思います。
改革開放の議論に入る前に、取り上げたい人物がいます。毛沢東の後継者となった、華国鋒です。日本ではあまり有名ではありませんが、「ポスト毛沢東」において、重要な役割を果たしています。
橋爪:はい。華国鋒が四人組を逮捕・失脚させて左派を排除したから、文革は終わりました。
峯村:1976年1月に周恩来が死去すると、華国鋒は序列13位だったにもかかわらず、毛沢東に抜擢されて後任の総理に就きます。当初は文革を継続する四人組寄りの姿勢を打ち出していました。そしてこの年の9月に毛沢東が亡くなる直前、「あなたがやれば、私は安心だ」という「遺言」を残したことによって、華国鋒は後継者となったのです。これまでの「ナンバーツー」はことごとく潰されてきたことを考えると、死去の間際とはいえ、毛沢東から権力を移譲された華国鋒は、只者ではありません。
そして華国鋒は後継者になると、態度を一変させます。四人組を逮捕して、毛沢東の「遺言」を根拠に、党中央委員会主席(現在の総書記)、中央軍事委員会主席、国務院総理という「三権」を独占して、権力を一気に奪取します。
(シリーズ続く)
※『あぶない中国共産党』(小学館新書)より一部抜粋・再構成
【プロフィール】
橋爪大三郎(はしづめ・だいさぶろう)/1948年、神奈川県生まれ。社会学者。大学院大学至善館特命教授。著書に『おどろきの中国』(共著、講談社現代新書)、『中国VSアメリカ』(河出新書)、『中国共産党帝国とウイグル』『一神教と戦争』(ともに共著、集英社新書)、『隣りのチャイナ』(夏目書房)、『火を吹く朝鮮半島』(SB新書)など。
峯村健司(みねむら・けんじ)/1974年、長野県生まれ。ジャーナリスト。キヤノングローバル戦略研究所主任研究員。北海道大学公共政策学研究センター上席研究員。朝日新聞で北京特派員を6年間務め、「胡錦濤完全引退」をスクープ。著書に『十三億分の一の男』(小学館)、『台湾有事と日本の危機』(PHP新書)など。
橋爪大三郎氏と峯村健司氏の共著『あぶない中国共産党』