兵農分離が徹底された江戸時代、武士とその家族は城下町に集住したため、年貢や諸役の徴収及び上納は村役人に一任された。
村役人の呼称は地方によって異なるが、関東・東海・北陸では名主、組頭、百姓代の村方三役からなり、名主は村全体の責任者、組頭は名主の補佐役、百姓代は村民の代表に当たった。誰を三役とするかは農民たちの推薦や入れ札(投票)で決められ、現実には豪農や上層農民から選ばれたが、建前上は農民男性のすべてに可能性があった。
選ばれたはいいが、読み書き算盤ができないのでは役目を果たせない。そんな醜態を避ける意味から、農村部でも寺社に場所を借りた寺子屋が普及したのだった。
幕末日本の「識字率世界一」の実態
ただし、子どもたちの学習意欲は概して低く、5年から8年間在籍しても普通の手紙文を書けるようになるのは10人のうち1人にすぎず、それ以外は日常で使う機会の多い祝儀や香典の書き方、人名、村名の読み書き覚えるのがせいぜいだったとする説もある。
つまり、何をもって「識字」とするかで識字率の数字は大きく異なるわけで、教育史を専門とする八鍬友広(東北大学大学院教授)は著書『読み書きの日本史』(岩波新書)の中で、〈明治初期における識字状況は、自署という最低限の識字能力でみても、地域間の格差、および性による差異がきわめて大きかった〉としながら、幕末の状況はこれと大差なく、〈多くの村では、文通可能な男子人口は、一〇%程度〉だったと結論付けている。
識字率の過大評価については、東京大学史料編纂所教授の本郷和人も同意見で、『婦人公論.jp』の記事中で、〈ネットなどを見ていると、江戸時代の識字率について70%とか80%とか、ものすごく高い数字を書いたものがありますが…。いくらなんでも無理があります〉、〈幕末に平均して20%台の識字率があったようなので、江戸時代でもそのあたりが妥当ではないでしょうか。それでも当時“世界一”の識字率であったことは間違いありません〉と語っている(2025年1月19日付『本郷和人『べらぼう』蔦重が活躍する江戸時代に人口が激増。平和な日々で庶民が励んだのは<子育て>と…当時の日本が「識字率世界一位」になれたワケ』)。
実際に日本人の文通可能なレベルの識字率が9割以上に達したのは、明治19年(1886年)の小学校令の施行に伴い、本格的な義務教育がスタートして以降のこと。義務教育を受けた子供たちが親世代、祖父母の世代になった頃だった。
幕末期の識字率20%台は低いと思われるかもしれないが、江戸時代に普及した寺子屋教育の下地があったおかげで、近代日本の初等教育はまったくのゼロからスタートではなかった。制度が整えられ、学歴が物を言う社会が到来してからの識字率向上は非常に速く、アジアの中で日本だけ頭一つ抜け出ることができたのも、太平洋戦争で被った打撃からいち早く復興を果たしたうえ、敗戦から半世紀を経ずして世界屈指の経済大国に成長できたのも、識字率の高さに負う部分が大きかった。そのリターンを享受しているのは、現代に生きる我々とも言える。
■前編記事:(徳川家康による「天下泰平」で生じた“多すぎる戦闘要員”問題を解決するために用いられた「儒学」の効能 藩体制を維持するために求められた人材育成術。
シリーズ続く)
【プロフィール】
島崎晋(しまざき・すすむ)/1963年、東京生まれ。歴史作家。立教大学文学部史学科卒。旅行代理店勤務、歴史雑誌の編集を経て現在は作家として活動している。『ざんねんな日本史』、『いっきにわかる! 世界史のミカタ』など著書多数。近著に『呪術の世界史』などがある。
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