2004年から20年にわたってラジオに関わってきた冨山雄一氏
いつも聴いているアナウンサーの声にリスナーも安心
家屋倒壊の情報、火災情報、停電情報、液状化や道路陥没が起きている情報、電車や高速が止まっている情報、そして外で取材をしている報道記者からの連絡、そして、オープン戦の中継のために横浜スタジアムにいたスポーツ部のアナウンサーやディレクターからのレポートなど、ありとあらゆる情報がスタジオ外の副調整室に集まり始めていました。スタジオの外は、人と情報が錯綜し、パニック状態でした。
僕は生放送のスタジオの応援に入り、そのままサブディレクターというディレクターの補佐を行う業務に入りました。同じフロアにある報道部から続々と届く、情報の整理、そして都内各地に取材に出た報道記者やアナウンサーとどの順番で中継や電話レポートをつなぐのかを調整する業務を引き受けていました。
最初は、通常の震度5強クラスの報道対応でしたが、時間の経過と共に東北地方の壊滅的な被害状況が断片的に入るにつれ、局内の空気は緊迫していきました。
ニッポン放送の放送エリアである首都圏では、太平洋沿岸部での津波警報、千葉のコンビナートの火災、浦安の液状化現象、そして神奈川県を中心とした大規模停電、そして帰宅困難者による主要ターミナル駅の混乱と、かつて経験のない規模の被災状況が続々とスタジオに速報として入ってきました。
リスナーからは、「停電でテレビが消えてしまって、情報を収集する方法がラジオしかなくなっている」「携帯電話が通じず、家族の状況がわからない」というメールが殺到しました。その声は、夕方以降、夜で真っ暗になるとさらに多くなっていきました。
その時間、ラジオで災害情報を読み続けたのは、日頃はワイド番組の生放送を行っている上柳昌彦アナウンサーや垣花正アナウンサーでした。リスナーからは「いつも聴いている人の声が暗闇の中でもラジオから聴こえるとホッとします」という声が届きました。
この時は目の前のことに必死で何も考えられませんでしたが、振り返ってみると、非常時において耳馴染みのある声がいかに人を安心させるのか、強く痛感する出来事でした。
※冨山雄一・著『今、ラジオ全盛期。』(クロスメディア・パブリッシング)より一部抜粋・再構成
■第2回記事:《ラジオ放送開始から100年》ニッポン放送プロデューサーが振り返る「ニコニコ動画」登場のインパクト 「サブカルから推しの連帯まで“ラジオ的”なものを飲み込んでいった」
【プロフィール】
冨山雄一(とみやま・ゆういち)/ニッポン放送「オールナイトニッポン」統括プロデューサー。1982年1月28日生まれ、東京都墨田区出身。法政大学卒業後、2004年NHKに入局、2007年ニッポン放送へ。「オールナイトニッポン」ではディレクターとして岡野昭仁、小栗旬、AKB48、山下健二郎らを担当。イベント部門を経て、2018年4月から「オールナイトニッポン」のプロデューサーを務めている。現在は、コンテンツプロデュースルームのルーム長としてニッポン放送の番組制作を統括している。
愛くるしいラジオリスナーの装画を担当したのは、自身もラジオ好きであるという、アーティスト・長場雄氏