そのことは、60歳で町工場を定年退職した田辺さん(70)の経験談を聞くとよくわかる。田辺さんは、同じ約1000万円の退職金を受け取りながら、500万円残っていたローンの繰り上げ返済を見送り、昨年、満期で返済を終えた。
田辺さんは「繰り上げ返済しなくて本当によかった」と振り返る。それは、5年前に妻が脳梗塞で入院した時期があったからだ。
「入院費用などに加え、妻の足に少し障害が残ったので、退院前に自宅の床の段差をなくす工事も必要になった。一時は都合200万円くらいの現金が次々と財布から飛んでいった」
高額療養費制度や自治体の補助金を得て後に半分ほどは補助が受けられたが、持ち出しが多くなった時期に「退職金の預金がなかったら相当心細かったと思う」と田辺さんは話す。ファイナンシャルプランナーの森田悦子氏が解説する。
「退職金で住宅ローンを完済したいと考える人が少なくありませんが、手元に資金を残しておくことで不測の事態に備えられる利点もある。また、住宅ローンは加入時に団体信用生命保険(団信)に加入していることが多いため、加入者が死亡した際に残債が弁済される。仮に完済前に亡くなった場合、残債分が“死亡保険金の代わり”として機能するのです。
当面は低金利が続くとみられるので、“住宅ローンを完済しないメリット”に着目する考え方はあるでしょう」
もちろん、完済前に金利が上がり、負担増となるリスクは残る。選択にあたっての判断基準を森田氏はこう説明する。
「目安になるのは完済までの期間と残債です。残債が1500万円以下で70代までに完済できるなら、多少金利が上がっても負担はそこまで増えないので繰り上げ返済をする必要はないでしょう」(森田氏)
※週刊ポスト2019年6月21日号