初対面の仕事相手からしても、『えっ、もしかしてDQNなの?』なんて思うかもしれないので、最近はガラケーを会議中、外に出さないようにしています。もう何年も『なんでまだガラケー使ってるの?』なんて言われてきたものの、今回の騒動により、ガラケー使いの肩身が格段に下がったように思えます。とんだ風評被害ですよ……」(以下同)
では、なぜ同氏はガラケーを使い続けるのか。そこには何らかのメリットがなくてはならないだろう。
「今の時代、書類等の添付されたメールを送ればすぐに返事が返ってくると思う人が多過ぎる。それは『返事ができる環境に常時いる』からに他なりません。緊急性の高すぎる仕事なんてそこまではない。だったら『ガラケーなんでメールは見られません』と言った方がラク。あと、スマホは中毒性が高いので、どうでもいい情報に常に接することになるし、余計な課金をしてしまう懸念もある。ガラケーだとそもそもネットに繋げるのも大変だし、今の時代、対応するサービスもどんどん少なくなっていっているので、業者からむしり取られる心配もない。特に不自由がないんです」
こうした利点を同氏は主張するものの、こう考える人はもはやマイノリティではないだろうか。生活空間全般へのスマホ対応化が進む昨今、ガラケーは奇異なものとして捉えられているようだ。中川氏はこう続ける。
「今回の騒動でガラケーが注目されましたが、この風潮は、昨年10月、さいたまスーパーアリーナの沢田研二のコンサートがドタキャンされた時以来です。報道では、ガラケーで現場の看板を撮影する高齢女性が多く写っていましたが、この時もネット上には『ガラケー久々に見た』『ガラケーをまだ使ってる人がいたんだ』と驚かれていました。それだけガラケー使いは『奇怪な人』扱いなんでしょうね」