思い出や大切な物との決別。それが人生を好転させた
母が9人きょうだいの大家族の中で育ったのが人生の第1章なら、父と結婚して私を産み育てた日々が第2、私が独立し父とふたりの生活が第3、そして父の死後、人生初の独居になったのが人生の第4章といえる。
こう振り返ると第4章は最悪のスタートだったが、この7年の間に母の人生は大好転したと思える。契機になったのは、第3章までの70数年間にため込まれた、大量の大切な品々との決別だろう。
ゴミ屋敷の中で認知症が激化し、激やせした母に、私が手をこまねいていたのは、“高齢者には住み慣れた家がいちばん”という思い込みがあったからだ。ましてや老人ホームを提案するなど、きっと逆上されると恐れていた。
でもついに限界を感じて、「引っ越す?…老人ホームとか」と恐る恐る切り出すと、「そうね! そうしよう」と元気に即答。
そこから施設数軒を一緒に見学して歩き、最終的に老人ホームにダメ出しをして、自由度の高いサ高住(サービス付き高齢者向け住宅)を選んだ。3LDKの家に詰まった物は、「全部いらない。Nちゃん捨てといて」。私への遠慮や躊躇はみじんも感じさせない、潔い意思表示だった。
驚いたのはその後、必要最低限の品だけ持って引っ越したワンルームのサ高住で、母が見事に再生したことだ。認知症のつらい妄想や暴言はピタリとやみ、部屋はもともとの母らしく、いつもきちんと片づいているようになった。
「頭がすっきりして認知症も治ったわ」という、母の実感も本物だろう。記憶障害は相変わらず進行中だが、表情は身軽になって晴れやかだ。
一方の私は転居前の母の家を片づけるため、大変な重労働を強いられたが、この母の再生劇は50代の私の終活のいい手本だ。物であふれる自宅を顧みて、しみじみ思った。
※女性セブン2019年12月19日号