最終的には倒産したが、1965年に山一証券が経営危機に陥ったときは、田中角栄大蔵大臣を説得して、日銀特融を実施させて救済したこともある。
1966年に日産自動車とプリンス自動車を合併させたのも中山氏で、これによりトヨタと双璧をなす国産車メーカーが誕生した。1962年には東邦海運と日鉄汽船を合併して新和海運を設立し、日本が海運国として生き延び、成長する下地を整えた。
中山氏は単なる企業再編ではなく、日本の産業界がどういう方向に進むべきかという展望をもって、必要な産業を育てるように仕掛けていった。
ソフトバンクGの事業には将来の産業界を担うジャンルが多い。ライドシェア・ビジネスでもウーバーや中国の滴滴出行などに出資していて、トヨタとは自動走行技術などを研究開発するモネ・テクノロジーズという合弁会社を立ち上げている。こうした未来の産業が切り売りされてしまうのは、いかにももったいない。
中山氏であれば、あまたの企業を叩き売るのではなく、有望な事業は育成して独り立ちできるまで育てて、利益を借金返済に充当し、それが難しい場合も別の企業と合併させて、事業を大化けさせるようなことができるのではないかと夢想してしまうのである。
※週刊ポスト2020年8月14・21日号