いちいち「学生時代の友人」を聖域化し、「最後に信用できるのは学生時代の友達だ」という人がいるのは分かる。でも、年に2回以上会う学生時代の友人って何人いますか? 多分、これがすべてなんですよ。
いったい何百人の友人が過去にはいたのか。小学校から中学校、高校、専門学校、大学にかけて友人と呼べる人は多数存在したでしょう。それなのに、年に2回以上会うのはせいぜい1人か2人。結局、彼ら・彼女らには、各々「今現在の私の人生」があるんですよね。学生時代の思い出というものを否定する必要はありませんが、今の私の人生にはさほど影響を与えない――。
少し寂しいかもしれませんが、そう考えるのが現実的だと思います。それなのに、とにかく聖域化された「学生時代の友人は貴重」論により、社会人になって以降の人間関係を無駄に否定する人もいる。
そりゃあ、病気になった学生時代の友人を救うべくカンパを集め、手術費用を捻出した、といった話も聞いたことがあります。それはその方々の絆が深かったということで素晴らしいことです。ただ、一般化できないんですよ。
私自身、困ったことがあると、社会人になってから知り合った人たちが助けてくれるケースが圧倒的に多い。最近でも、「今の仕事を辞めて地方に住みたい」と発言したところ、よく行っていた中華料理店のシェフがとある地方にUターンしていて「だったらウチの裏の畑も貸すからそこで畑耕せばいいよ! 部屋も借りられるよう便宜を図るよ!」と言ってくれたり、知り合いのライターが「○○県庁の人が観光情報を発信してくれる人を探しているんですけど、一度打ち合わせしましょうよ!」などとオファーをしてくれたりしています。
結局、人間関係は「現在進行形」に近ければ近いほど頼りになるんです。そういった意味では一旦切れてしまった人間関係に頼る人生は送りたくないですね。一生同じ土地に住むのであれば別かもしれませんが。