瀕死の企業をバンカーが立て直す──そんな半沢直樹のような世界は、過去に遡れば、実際にあった。元みずほ銀行支店長で作家の江上剛氏が語る。
「銀行が経営危機、経営不振の企業に入って再建するためにまずやるのはリストラです。資産の売却や人員削減、報酬削減などを行ない、月々の経費は下がる一方で、社員のモチベーションも下がり、必要な開発や営業が疎かになる。それでも、手元資金が生まれるので、滞っていた融資の回収は可能になります。
銀行は自らの債権回収を優先しがちです。そこから企業が再生できるかどうかは、ケース・バイ・ケースです」
かつて総合商社の一角を占めた兼松の再建も、リストラから始まった。バブルが弾けた後も過剰な不動産投資を続けていた兼松は経営が悪化。1999年に事業継続が不可能になり、取引銀行に1700億円の債務免除を要請した。
債権放棄に応じたメインバンクの東京三菱銀行(現・三菱UFJ銀行)は、専務の倉地正氏が兼松に乗り込んだ。
社長となった倉地氏は経営陣を退陣させ、本社の人員を3分の1にまで絞り込むリストラを断行。繊維や紙パルプ、不動産事業から撤退して総合商社の看板を降ろした。2007年には虎の子だったインドネシアの天然ガス権益も151億円で売却した。
15年かけて株式の復配を実現し、現在では再建成功例の「兼松モデル」として評価されている。
※週刊ポスト2020年9月18・25日号