樋口氏とともに尽力した村井氏は、アサヒビールに入る5年前にマツダの再建にも関わった。
1967年に世界初のロータリーエンジン搭載車を発売し、好調だった東洋工業(現・マツダ)は、オイルショック後も強気の増産を続けたことが裏目に出て赤字に転落した。
そこで1976年に住友銀行から常務の村井氏が乗り込み、副社長に就任して再建に挑んだ。だが、初出社のときは労組による1万人座り込みストが行なわれ、「住友進駐軍帰れ」、「マッカーサー帰れ」の大合唱が起きたと後に明かしている。
村井氏は、「コーヒー飲ませてくれや」と組合事務所に頻繁に足を運んで人間関係を構築。社内の構造改革に取り組みながら、1979年にフォードと資本提携し、経営を安定化させた。1980年には5代目「ファミリア」が大ヒットし、マツダは危機を脱した。わずか4年で経営を立て直したのだ。
マツダ、アサヒビールと立て直した村井氏は、1987年にJR西日本の初代会長となる。誰もが認める「経営再建のプロ」だった。
※週刊ポスト2020年9月18・25日号