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銀行員による企業再建 伊勢丹は創業家社長退任の荒療治も

 救済のために銀行員を送り込むのではなく、銀行主導で合併させる手法が用いられたこともある。東京商工リサーチ常務情報本部長の友田信男氏は、商社の双日を挙げる。

「バブル崩壊で多額の不良債権を抱えていた中堅商社の日商岩井とニチメンは、UFJ銀行(現・三菱UFJ銀行)の仲介で経営統合による生き延び策を選び、2005年に合併しました。両社ともそれぞれ独立した取引先に過ぎなかったが、“銀行系列”という概念が残っていた最後の時期ではないでしょうか」

 銀行が救済で介入するのは、必ずしも経営危機のケースだけではない。伊勢丹の場合は、会社を守るために創業家社長を退任させるという“荒療治”が行なわれた。金融ジャーナリストの小泉深氏が語る。

「1984年に38歳で社長に就任した伊勢丹の創業家4代目の小菅国安氏は、『今ある伊勢丹のすべてを否定する』という方針を打ち出し、メインバンクの三菱銀行(現・三菱UFJ銀行)に反発。三和銀行(現・三菱UFJ銀行)との取引を広げるようにした。2つの銀行を競わせることで主導権を握ろうとしたが、三菱銀行は不快感を示し、関係は悪化します」

 その渦中に不動産会社の秀和が伊勢丹株を買い占め、1993年には株式28%を保有する筆頭株主になったが、資金繰りの悪化で伊勢丹株をイトーヨーカ堂に転売しようとしたことが発覚。伊勢丹が買収されかねない事態になった。

「秀和の保有株を引き受けるには2000億円近い資金が必要で、そうなると三菱銀行の協力を仰がねばならないが、小菅社長と三菱銀行の関係は度重なる衝突でこじれている。そうした状態に伊勢丹内部も業を煮やし、1993年5月、クーデターのような形で小菅社長が退任。その人事に合わせ、三菱銀行専務で証券業務のプロだった城森倫雄氏を伊勢丹副社長に迎え入れた」(同前)

 伊勢丹が歩み寄ったことで、三菱銀行も協力し、同年12月に秀和の伊勢丹株を買い戻し、一連の問題は決着した。

※週刊ポスト2020年9月18・25日号

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