テレビ通販の代名詞的存在であるジャパネットたかた。創業者である高田明氏が甲高い声と明るい笑顔で熱く商品を説明するスタイルで人気となった。5年前に跡を継いだ明氏の長男・高田旭人社長(41)は、先代とは違う新たなスタイルでジャパネットホールディングスを牽引。2019年12月期の連結売上高は2076億円で過去最高となっている。斬新な発想で市場を切り開く2代目社長の経営方針を訊いた。
──このシリーズはまず、平成元年(1989年)当時を伺っています。
高田:1986年に父(明氏)がカメラ店を興しました。父が社長、母が副社長です。当時、僕は小学生でしたが両親とも多忙を極めていたのを覚えています。姉、妹ともども、小さい頃から従業員の皆さんに可愛がっていただきましたね。それくらい商売が中心になっていた家庭で育ったんです。
──孫正義さん(ソフトバンクグループ社長)や堀江貴文さん(元ライブドア社長)を輩出した久留米大学附設高校から東大に進学した。
高田:大学は、教養学部基礎科学科の数理科学コースでしたが、正直、大学時代はほとんど勉強していません(笑い)。テニスに野球、飲み会など大学4年間で大半の遊びはこなしました。その分、社会人になってから仕事に没頭している感じです。
──卒業後、野村證券に勤めた。
高田:後々、父の跡を継ぐのであれば金融は勉強しておきたいと考えたんです。金融業界の中でも野村證券は特に仕事において鍛えられると聞いていましたので、せっかくなら厳しいところでみっちり勉強しようと。
入社した2002年当時、東大から野村證券に18人ほど入りましたが、営業職に配属されたのは僕ともうひとりの2人だけ。飛び込み営業で名刺を100枚集めなさいという課題が与えられました。担当エリアが茅ケ崎市(神奈川県)でしたので、住宅街を一軒ずつ、チャイムを鳴らして回るという感じでしたね。
野村は徹底した成果主義で、どれくらいの時間頑張ったかなど仕事のプロセスはほとんど聞かれなかった。極端な話、結果さえ出せばサボってもいい。ただ闇雲に足を使うだけでなく、頭も使わなければ意味がない。当時の経験はいまの経営に活きています。