日本に存在する「エリア民度」
住む地域にも民度は表れる。以前、茨城県つくば市の不動産市場を調査したことがある。つくば市はもともと農村地域であったが、1960年代から学術・研究都市(筑波研究学園都市)として開発が進んだ経緯がある。多数の研究者が移り住んだことから、先住の農家の人たちと研究者が混在する街となった。
現場の視察と地元不動産屋へのヒアリングで分かったことは、学区によって住み分けが行われているという仮説だった。これを検証すべく図書館で資料を調べていると、公立小・中学校の平均偏差値が目についた。その数字は隣接する学校でも大きな差があった。生徒の平均偏差値は、研究者が移り住んだ都市計画区域の学区と、都市計画区域外の農家を含む学区の偏差値には、前者のほうが明らかに高かった。移住してくる研究者が住む地域は、学区によっておのずと決められていたのだ。
千葉県浦安市の新浦安駅周辺もつくば市同様に都市計画された街だ。1988年に駅が開業してから、2011年に東日本大震災が起こるまで人口は急増し、いわゆる「住みたい街」の代表格になった。千葉県の中ではトップクラスの資産性で不動産価格は下落しにくかったが、埋め立て地であったことから東日本大震災時に液状化を起こし、生活インフラ(特に上下水道)が大きなダメージを受け、街のブランドイメージにも影響を与えた。その後の資産価値の推移は、以前ほど芳しくない。
同様の成り立ちの街に、都内湾岸エリアの豊洲駅(江東区)もある。2005年に大規模な再開発の着工が始まり、街のイメージが一変した。その後もタワーマンションを中心に開発が進み、新橋駅から豊洲駅を結ぶゆりかもめ東京臨海新交通臨海線も2006年に延伸したことで、都心に比較的近いベッドタウンとして人気を博している。筆者は2002年に日経ビジネスの取材を受け、利回りの高い駅の代表として豊洲駅を取り上げ、その後の値上がりを予見したが、以降、有望エリアとして注目してきた。
新浦安と豊洲の共通点は、都市計画区域に指定されるまで先住の住民がほぼいなかった点だ。こうなると、建物や部屋の面積帯は大きくなりがちで、ファミリー世帯向きの街が出来上がる。その家賃や物件価格は面積が大きいため比較的高く、この住居費を支払う能力がある人だけが引っ越してくる。結果、年収が似た層が集まることになり、民度の同質化が進んだ。都内一等地である港区・白金周辺に住む人々が「シロガネーゼ」と呼ばれるように、豊洲の運河(キャナル)沿いに住む人々として「キャナレーゼ」と言う造語も生まれた。江東区の中では年収の高い地域で、公立小学校の教育水準も高位安定している。