住まい・不動産

誕生から半世紀 再び若者が戻る「憧れの街」多摩ニュータウンの現在

日本最大規模のニュータウンはどう変わった?(UR都市機構と無印良品のコラボによるリノベーション物件MUJI×UR」)

日本最大規模のニュータウンはどう変わった?(UR都市機構と無印良品のコラボによるリノベーション物件MUJI×UR」)

 1971年3月、東京・西南部の多摩丘陵に位置する多摩ニュータウンは入居者たちの期待を背負って誕生した。良好な居住環境を備えた“憧れの住宅地”は、少子高齢化による停滞の時代を経て、再び若者たちが戻りつつある。半世紀の歴史に刻まれた希望と苦悩、喜びを貴重写真で振り返る。

 多摩、八王子、稲城、町田の4市にまたがり、22万人以上が暮らす多摩ニュータウン。高度経済成長で人口が急増する首都圏の住宅不足解消を目指して誕生、入居開始は50年前の1971年3月26日だった。当時から住み続けるNPO法人福祉亭理事長・寺田美恵子さんが振り返る。

「私たち団塊の世代には、憧れの住まいでした。私も10回以上応募してようやく当選しました。当時はまだ道路が未整備で、雨が降れば地面はぬかるんで泥だらけになりました」

 造成中の入居だったため、鉄道などのインフラも行き届かず、通勤・通学の足はバスのみ。最寄りの鉄道駅に着くまでの道のりも大渋滞となった。当時は「陸の孤島」「聞いてバラ色、住んで灰色」と揶揄された。しかし、1970年代中頃から交通や教育施設が次々に整備された。環境への関心の高まりから緑豊かな公園ができ、今日の基礎となる街づくりが進められた。

「人々の生活様式や意識の変化から、必要とされる住宅が、量から質へと変わりました。メゾネットタイプや戸建て風の物件の供給が開始されたのもこの頃です」(多摩市文化新興財団学芸員・仙仁径氏)

 平成に入ると大規模な商業施設が開業するなど国内最大級のニュータウンにふさわしい街並みが整う一方、住民の高齢化が進み、建物の老朽化も相まって街の活性化が課題となった。それでも住民グループの様々なアイデアが動き出し、コロナ禍で「郊外」に注目が集まると流れが変わった。

「URと無印良品のコラボした物件は、レトロな部分を残しつつ、アレンジのしやすい自由度の高さが比較的若い世代に好評です」(UR都市機構広報担当)

 古くから入居する高齢世帯と新しく移住する若者世帯。日本一のニュータウンは、新旧の住人たちが新しい歴史を刻みつづける。

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