日本最大規模のニュータウンはどう変わった?(UR都市機構と無印良品のコラボによるリノベーション物件MUJI×UR」)
2021年3月 19歳まで過ごした実家の3LDKをフルリフォーム。「子供のころつけた柱の傷などはあえて残しています」(瀧口さん)
1986年 「多摩センターの駅前にはイトーヨーカドーしかなくて、多摩丘陵の山肌が見えていました」(瀧口さん)
2021年3月 永山商店街の福祉亭に集まった住民の皆さん。エレベーターの設置されていない団地も数多いが、「住み心地がよくて離れることができません」と笑いながら話す(右から4人目が瀧口さん、右端がNPO法人福祉亭理事長・寺田美恵子さん)
1971年3月 入居と同時に開業した永山商店街。第1次入居が始まった当初、東側半分は完成していなかった
2021年3月 多摩ニュータウンで最も早く入居が始まった永山地区で、1973年に開園した永山南公園。商店街の隣にあり、子どもから高齢者までの憩いの場となっている
1971年3月 米穀店や電気商店、書店などが並ぶ永山商店街は団地の暮らしを支える。中には開発により農業が続けられなくなった人の生活再建としての店も8店舗あった
2021年3月 現在の永山商店街(永山団地名店街)。空き店舗が目立ったかつての苦境を乗り越え、リフォームや集客イベントなどの努力で少しずつ活気を取り戻している
1971年3月 消火器の出張販売に地元の人々が集まった。当時はまだ空き地となっている場所が多数あった。奥は永山南公園、左奥は永山3丁目団地
2021年3月 NPO法人永山情報センター福祉会の運営する「ほっとセンター多摩」(2008年開設)。屋台は、10年前の東日本大震災で被災者に食事を振る舞うために作られた
1970年12月 「多摩丘陵パノラマの丘」からの永山団地。入居開始約3か月前だが、団地が完成している一方、左手に建設中の南永山小学校が見える
2021年3月 手前に南多摩尾根幹線道路が開通し、建設途中だった南永山小学校は1996年に廃校となった
1971年3月 屋台の奥に見えるのは、入居開始直後に開園した児童福祉施設「ゆりのき保育園」。現在は2階建てになっている
2021年3月 諏訪地区の広場で男性がギターを弾いていた。多摩ニュータウンの公園は歩行者と車両の通行を明確に分けて整備され、子どもも高齢者も安心して出歩けるフリースペースが充実している
1971年3月 諏訪2丁目住宅(現在の「Brillia多摩ニュータウン」)集会所付近で行なわれた、台所や風呂用品の出張販売
2013年9月 完成した「Brillia多摩ニュータウン」。1249戸の分譲マンションで、多摩ニュータウン初となる建て替え物件として大きな注目を集めた