移動にさまざまな制限が課せられる期間が1年半に及び、鉄道各社はビジネスモデルの見直しを迫られている。北陸から九州北部までをエリアとするJR西日本(西日本旅客鉄道)はどのように「新しい鉄道のサービス」を描いているのか。長谷川一明社長(64)に訊いた。
──平成元年(1989年)当時は何をされていましたか。
長谷川:私は1981年に国鉄に入社しました。1987年に分割民営化でJR西日本が発足すると、当時の角田達郎社長(故人)の社長秘書を1年務めました。平成を迎えたのは、その後、財務部会計課に異動した頃ですね。
──そこではどんな仕事を?
長谷川:民間企業になったことで、国鉄時代と違って税金を納めねばなりません。所得税、法人税など国税も大きいが、大変なのは地方税である固定資産税の申告です。JR西日本は、国鉄時代からのたくさんの土地や建造物を引き継いでいました。これら莫大な資産を精査する仕事に追われました。
その後、1990年から日本国有鉄道清算事業団・株式対策室に出向しました。
分割民営化した1987年は、10月にアメリカでブラックマンデーが起こって株式市場が大暴落しましたので、JR株の売り出しも一旦、凍結状態になっていました。その後、株式を改めて売り出すにあたり、設置されたのがこの部署でした。
若い頃にこれらの仕事を経験できたおかげで、会社の財務全体を見渡す視点を学べたと思います。
──2005年の福知山線列車事故発生時は、神戸支社の次長として対応した。
長谷川:福知山線列車事故のような重大な事故を二度と発生させないという決意は、当社グループのすべての思考、行動の原点です。基幹事業である鉄道の安全なくして、当社の成長はない。今後、様々な事業に取り組む中でも「常に安全が最優先」と肝に銘じています。