紆余曲折を経て開催に至った東京五輪。開催について否定的な声もあったものの、続々と日本人メダリストが誕生して国中が沸いている。今をときめくメダリストの一方で、過去の五輪で活躍し、その後表舞台から消えた「英雄」もいる。記憶に刻まれたあのメダリストは今──。(文中敬称略)
専修大学卒業後、自衛隊に入隊し、28歳で挑んだ1968年のメキシコシティー五輪のレスリング・バンタム級で金メダルに輝いた金子正明は、表彰台で男泣きした「自衛官メダリスト」として脚光を浴びた。
引退後、自衛隊で隊員の再就職を支援する業務を担った。
「接点のない企業でも『金メダリストの金子が来た』と言うと役員、社長レベルが面会してくれた。レスリング時代の功績が役立ちました」
大きな転機が訪れたのは47歳。隊員の再就職先としてフジテレビと交渉した時だった。
「106社あるフジのグループ企業に隊員をひとりずつ再就職させてもらうためにフジ会長(当時)の鹿内春雄さんと面会したら後日、『金子君、きみがほしい』と言われた。
当時の僕の年収は850万円くらいだったから『給料を今の倍ください』とふっかけたら、『いいよ』と言われて会長の秘書をやることになった」
ところが入社から1週間で鹿内氏が急死してしまう。後ろ盾をなくした金子だったが、運と能力が味方した。