日本の避暑地の代名詞ともいえる軽井沢に新たな風が吹いている。コロナ禍で都会を脱出する流れが生まれ、テレワークの普及もあいまって人気が急上昇。軽井沢の地価は前年比10%上昇し、20年度に県外から移住してきた人の数は約1000人に上る。
かつて軽井沢は、中山道の宿場町として栄えた。難所である碓氷峠の入り口にあたる軽井沢宿に、峠越えの多くの旅人が宿をとったのである。参勤交代の大名が投宿し、諸藩と情報交換を行なったことが、軽井沢のサロン文化の源流との説もある。
明治に入ると、国道や鉄道の整備で宿場町の利用は激減したが、宣教師ショーが軽井沢を生涯の避暑地としたことをきっかけに、外国人の別荘が建つようになった。1894(明治27)年には、日本人の別荘や西洋式に改装された万平ホテルの開業とともに、軽井沢は日本有数の避暑地として発展していった。
戦後、人々のレジャー志向の高まりとともに宿泊施設が充実。皇太子明仁親王(当時)のテニスコートのロマンスが伝わると、テニスブームと相まって軽井沢が脚光を浴び、日本を代表するリゾート地として定着した。参勤交代の時代から生まれた軽井沢の“サロン文化”を示す名所を紹介しよう。
●「軽井沢の父」による最古の教会『軽井沢ショー記念礼拝堂』
1895年に「軽井沢の父」と呼ばれる宣教師のショーが軽井沢で初めて建てた礼拝堂。
●「日本資本主義の父」渋沢栄一も愛した避暑地
日本に資本主義をもたらした渋沢栄一は、たびたび軽井沢で政財界の要人と会合を行なった。
●江戸時代の風情が残る定番の散歩コース『追分宿』
中山道と北国街道の分岐点にあった宿場町。往時の雰囲気が残る軽井沢散策の定番。