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孫正義氏、全役員の反対を押し切って「Yahoo!BB」を開始した背景

日本の携帯電話市場で「3メガ(三大携帯電話会社)の一角」という地位を手に入れた孫正義氏(時事通信フォト)

日本の携帯電話市場で「3メガ(三大携帯電話会社)の一角」という地位を手に入れた孫正義氏(時事通信フォト)

【最後の海賊・連載第2回 後編】NTTドコモ、KDDI、そして孫正義率いるソフトバンク。日本の携帯電話市場では「3メガ」と呼ばれる大手3キャリアがそのブランドを確立している。そこに割って入らんとする「楽天モバイル」の新規参入は、“無謀だ”と思われていた。しかし、楽天を率いる三木谷浩史は、タレック・アミンとの出会いをきっかけに大勝負に打って出た。そして孫正義にとっても、ビジネスを発展させていくうえでのキーマンがいた。週刊ポスト短期集中連載「最後の海賊」、ジャーナリスト・大西康之氏がレポートする。(文中敬称略)

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 ソフトバンクにとってアミンと同じ「イノベーター(革新者)」の役割を果たしたのは現在ソフトバンク社長の宮川潤一と同社常務の筒井多圭志である。

 愛知県犬山市で臨済宗の住職の息子に生まれた宮川は、後継ぎになることを期待されて花園大学仏教学科に進んだ。だが1988年に卒業すると、寺を継ぎたくない一心で犬山市の会計事務所に就職した。ここで会計を学びながらゴミ焼却炉の会社を立ち上げるが、当時、一部のマニアの間で広がり始めたインターネットに着目し、1991年に中部地区をサービスエリアとするインターネット・プロバイダーの「ももたろうインターネット」を立ち上げた。

 新しい技術が好きな宮川は当時のインターネットの主流だったダイヤルアップ(固定電話の通信網をそのまま使う接続方式)に代わり、ADSL(非対称デジタル加入者線)という技術を採用した。文字通り通信の「往き」と「復(かえ)り」の速度が非対称で、端末(パソコン)側から見ると、往きが遅くて復りが速い。画像のダウンロードなど受信がダイヤルアップの10倍以上になるので、利用者は「速い!」と感じる。

 ただしADSLを使うには通信の基地局と端末を専用の機材につながなくてはならない。利用者側は「モデム」が必要だ。プロバイダーとしては、初期の設備投資がかさむという問題があった。このため、宮川の会社はいつも資金繰りに困っており、2000年に同じADSL方式のプロバイダー、東京めたりっく通信との合弁で「名古屋めたりっく通信」を設立した。

 2001年、この会社を買収しに来たのが孫だった。一国一城の主でいたかった宮川は二度ほど申し出を断ったが、最後は孫の殺し文句にやられた。『孫正義300年王国への野望』(杉本貴司著)によると、それはこんな言葉だった。

「君は名古屋で終わる気か?」

 孫が「天才」と呼ぶ筒井は、子供の頃からコンピューターに魅せられ、高校3年生の時にインテルのICチップを買って自作のパソコンを作った。東大工学部に進んでからも実家からの仕送りの大半をパソコン作りに注ぎ込んだ。その後、京大医学部に転部したが、そこでも大型計算機センターの図書館にこもってコンピューター関連の本や論文を読み耽った。

 大学4年の在学中にソフトウェアハウスを立ち上げ、この頃、最先端と言われていたコンピューターのオペレーティング・システム(OS=基本ソフト)「UNIX(ユニックス)」に対応したソフトを開発していた。

 同じ時期にUNIXに注目し、この技術に詳しい人間を探していた孫は、コンピューター雑誌に広告を出していた筒井に目をつけた。孫の秘書が筒井の会社にいきなり電話をかけてきて「うちの社長が今度、UNIXの商談でアメリカに行くから、同行してほしい」と依頼してきた。これが筒井と孫の出会いである。

 その後、AI(人工知能)に興味を持った筒井は京都大学付属病院医療情報大学院に進み、同院を中退したあとは、帝京大学理工学部情報科学科の講師や、森ビルが経営するアーク都市塾の助教授などをしながら研究に没頭し、10年ほど孫との連絡は途絶えた。

 しかし2000年、通信事業への参入を決めた孫は「天才・筒井」をソフトバンクに呼び寄せる。

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