心理学や精神医学は、うつや摂食障害、適応障害などの原因を幼少期の子育て(とりわけ母親との愛着関係)に求めるが、共有環境の影響は無視できるほどしかない。計算や認知、言語などの学習にはわずかに共有環境の影響があるが、やる気や集中力は子育てとはまったく関係ないようだ。「仕事と雇用」や「親密な関係」のように、人生に決定的な影響を及ぼす性格特性にも共有関係はまったく影響していない。
近年、知能の遺伝率は幼少期では相対的に低く、思春期に向かうほど遺伝的な影響が増していくことがわかってきた。アメリカで「就学前教育」に大きな注目が集まったのはこのためで、逆にいえば、「学力に関しては、小学校に上がってからはなにをしてもムダ」ということだ(*)。
【*参考:ジェームズ・J・ヘックマン『幼児教育の経済学』東洋経済新報社】
例外的に共有環境の影響が大きいのは、「インフォーマル(私的)な社会関係」「子育ての問題」「基礎的な人間関係」だが、これはポジティブな影響ではなく、幼児期の虐待などで友人関係や恋愛関係をうまくつくれなかったり、自分の子育てに問題が生じるからのようだ。子育てはたしかに子どもの人格に影響を及ぼすが、それは「極端な領域でネガティブな差異をつくりだす」のだ。
「頑張れない」を許さない残酷な社会
わたしたちは暗黙のうちに、いまの社会が知能(学力)によって序列化されていることを受け入れているが、その一方で、社会的・経済的成功を決めるのはIQや学歴だけではなく、「コミュ力(話し方)」や「やり抜く力(GRIT)」、「人間力」だと思ってもいる。
その背景には、「知能だけがすべてではない(すべてであってはならない)」という信念、あるいは願望がある。こうして、「成功に重要なのは知能よりも自己コントロール力だ」「教育で知能を伸ばすことができないとしても、やる気(堅実性パーソナリティ)を高めることはできる」などの主張が登場する。
「成功」に対する知能の影響が100だとして、性格のうち堅実性が60、共感力が20、協調性が20の影響をもつとすれば、これらの(成功につながる)パーソナリティの総計も100になる。だとしたら、知能と性格はほぼ同じ比重になり、知能のちがいだけをいたずらに言い立てるのは(控えめにいえば)科学的な正確さを欠くし、(率直にいえば)許されない差別なのだ。
成功にとって努力などの性格特性が重要なのは間違いない。だがここで無視されているのは行動遺伝学の第1原則で、知能だけでなく努力にも遺伝の影響がある。図表4でも、遺伝率は「やる気」が57%、「集中力」が44%で、努力できるかどうかのおよそ半分は遺伝で決まる。
児童精神科医の宮口幸治は、ベストセラーとなった『ケーキを切れない非行少年たち』の続編である『どうしても頑張れない人たち』で、「頑張るひとを応援する」という善意の残酷さについて書いている。宮口が医療少年院などで出会う少年たちは、頑張りたいと思っているかもしれないが、それでも頑張れないのだ。
その原因のすべてが生得的なものだとはいえないが、幼児期の虐待や育児放棄など、本人の意志ではどうしようもないものがほとんどだ。そして宮口は、ほんとうに支援が必要なのは、わたしたちが支援したくないと思うような「頑張れない子どもたち」だという。