作家・橘玲氏はベストセラーとなっている最新刊『無理ゲー社会』で、現代社会では人生が極めて攻略困難なゲーム(無理ゲー)となり、「生まれてくるんじゃなかった」と絶望する若者が増えているという実態を明らかにした。なぜ、そんなことが起きているのか。その背景を橘氏に聞いた。
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「将来に対する不安が大きすぎて、早く死にたい」(埼玉県・20代)
「未来に絶望しかなく、どうせ年金受給の年齢が延ばされるのなら、60歳くらいで両親ともども命を絶ちたい」(兵庫県・30代)
「早く安楽死の合法化と自由に自殺できる制度がほしい」(埼玉県・30代)
これらは、参議院議員の山田太郎氏が「不安に寄り添う政治のあり方勉強会」(参議院自民党)のために、SNSを通じて募集した若者たちの声だ。投稿が寄せられたのはコロナ前(2020年1月)だったが、日本の若者たちは将来に大きな不安を抱え、「苦しまずに自殺する権利」を求めていた。
ゲームマニアの間では、攻略が極めて困難なゲームを「無理ゲー」と呼ぶ。いま、多くの人たちが「無理ゲーと化した社会」に放り込まれている。若者たちの声からは、そうした現実が浮かび上がる。
そんな事態を招いた一因として、世界的な「リベラル化」の潮流がある。
ここで言う「リベラル」とは、「自分の人生は自分で決める」「すべての人が自分らしく生きられる社会を目指す」といった価値観のことで、1960年代のアメリカ西海岸で生まれ、またたく間に世界中に広まった。この理想はもちろん素晴らしいが、光があれば闇もある。現実には、「自分らしく生きられない」と、生きづらさを訴える人が急激に増えている。
数百万年の人類の歴史のほとんどにおいて、人間は生まれ育った共同体に拘束されていた。それがいきなり途方もない「自由」を手にした結果、経済格差だけでなく性愛格差も広がっている。
1950年代までのアメリカでは、地元の教会の集まりなどで若い男女が出会い、結婚するのがふつうだった。だが都市化が進むにつれて中間共同体は機能しなくなり、自分で恋人を見つけなくてはならなくなる。
その後、恋愛の自由市場化がさらに進み、一握りの恋愛強者と大多数の弱者に分断されるようになった。これが「モテ/非モテ」問題で、日本だけでなく世界的な現象だ。