知能の影響を否定しようとするひとたちは、意志力のような「成功に役立つ性格」を過大評価し、「頑張る」ことを成功の条件とする。これを逆にいうと、「頑張れない(努力しない)ひと」は支援される資格がないのだ。
知能による選別を否定すると、その空白を、性格(頑張っているか、いないか)による選別が埋めることになる。テストの点数で序列化されるのと、性格(人間性)を否定されることの、どちらがより残酷だろうか。
「進化論的リベラル」へ
わたしたちは無意識のうちに、親(子育て)や教師(教育)が子どもの将来に決定的な影響を与えるはずだと思っている。だがさまざまなデータは、この信念(というより願望)にさしたる根拠がないことを示している。
子ども時代のことを思い出せば誰もが同意するだろうが、親(家庭)の影響が大きいのは幼少期までで、小学校高学年になれば友だちとのつき合いの方が大事になり、思春期を過ぎれば親の説教などどうでもよくなる。重要なのは親や教師からほめられることではなく、友だち集団のなかで注目され、よりよい(より多くの)性愛を獲得することなのだ。
だが大人になると、なぜかこうした体験を忘れてしまうらしく、子育てや教育の影響を(とんでもなく)過大評価するようになる。
近年では教育現場でカウンセリング、チューター制度、学校外活動、ジョブトレーニングなどさまざまな試みが行なわれている。これらはどれも子どもたちの「非共有環境」に介入しようとするもので、行動遺伝学の知見では、子どもの選択・行動は遺伝だけでなく非共有環境が強く影響するのだから、考え方としては間違ってはいない。
ところが、こうした努力はどれも期待ほどの成果をあげていないようだ。その理由は、とても単純な理由で説明できる。子どもたちは「教育」以外のほとんどの時間を他の非共有環境、すなわち友だち集団のなかで過ごしているのだ。
10代の若者がカウンセラーと1時間話したとして、部屋から一歩出れば「友だちの世界」が待っている。だとしたら、ほんのわずかな「介入」にどれほどの効果があるだろうか。
子どもの選択・行動に外部から大きな影響を与えたいのなら、養子に出す、他の地域に引っ越す、転校するなど、非共有環境をまるごと変えるような介入が必要になる。
1990年代にアメリカで行なわれた社会実験では、裕福な地区への引っ越しをともなう経済援助を受けたグループでは、13歳以下だった子どもが20代半ばに達したときの収入が(なんの援助も受けなかった対照群の子どもより)約3分の1以上高くなり、8歳児が受けた利益は生涯収入で30万ドル(約3000万円)と見積もられた。子どもが大学に進む確率は6分の1高く、大学のランクは大幅に上がり、貧しい地域に住む割合やシングルマザーになる確率も低かった(*)。
【*参考:Raj Chetty, Nathaniel Hendren & Lawrence F. Katz (2015) The Effects of Exposure to Better Neighborhoods on Children: New Evidence from the Moving to Opportunity Experiment, The American Economic Review /マシュー・O・ジャクソン『ヒューマン・ネットワーク 人づきあいの経済学』早川書房】
子どもの人格形成に環境要因が大きな影響力をもつのは友だち関係の全面的な変化をともなうときで、“ビリギャル”のような事例は、もともと素養のある子どもを発掘する以上の意味はないのだろう。