彼女はポケットマネーからタクシー代の1万円をこっそり渡し、国立競技場への道順を教える。無事に競技に出場できたパーチメント選手は最終的に金メダルを獲得した。
パーチメント選手は河島さんにジャマイカ代表のシャツをプレゼントし、「日本の人々は最も心優しい」とインスタグラムにアップ。8月19日には、都内のジャマイカ大使館で河島さんに感謝する式典が行われるなど、一躍時の人となった。河島さんは、お金を手渡したときの心境をこう述べている。
《国を背負って人生をかけて来ているんだろうなと思うと、今回、このご時世の中、五輪に出られたことは奇跡かもしれない。もう最後になるかもしれない。一生後悔させてしまうことは私にはできないと思い、助けたい一心でした》
海外記者が取材を終えて帰国するための空港で交流も
世界中から手放しで称賛された日本のボランティアについて、ロンドン五輪フェンシング男子団体(フルーレ)の銀メダリストである三宅諒さん(30才)はその「手厚さ」を指摘する。
「日本のボランティアやスタッフがすごいのは、与えられた仕事以上のことまで頭に入っているところです。海外では、専門分野に特化したエキスパートはいますが、専門外のことを聞いたり頼んだりすると、『私の担当ではない』と断られ、自力で解決しなければならないケースもある。日本の場合、自分の専門外のことも頭に入っていて、あらゆることに対応してくれます」
もちろん、日本のエキスパートたちの仕事ぶりも目を見張るものがある。たとえばフェンシングは試合前に選手の武器(剣)を検査するのだが、他国では検査がルーズで、武器がなかなか戻ってこないことがあるという。一方、日本は末端のスタッフにまで意識が行き届き、効率よく検査が進み、スムーズに選手の手元に武器が戻ってくるといった、細やかな配慮が見られると三宅さんは言う。
そういった日本人の精神は、海外選手やスタッフの心にもしっかり届いている。
「今大会、優勝候補だったアメリカが準決勝で敗れました。金メダルを目指して猛練習に励んできたので、負けたことは悔しくて仕方なかったはずです。しかし、日本フェンシング協会前会長の太田雄貴さんから聞いたのですが、敗退したアメリカのスタッフが太田さんのところへやって来て、『日本のスタッフやボランティアがすごく親身になって運営してくれたことに感謝しています』と、お礼を伝えられたそうです。
東京五輪はコロナ禍で大変な状況でありながら、各国の選手たちは本当に楽しそうに競技に臨んでいた印象です。それはやはり、大会を支えたスタッフやボランティアのおかげだったと思いますし、ホスピタリティーの面で東京五輪は大成功だったと思います」(三宅さん)