【最後の海賊・連載第4回 後編】世界で名を上げた起業家には共通点がある。それは“リスク中毒”ということだ。楽天・三木谷浩史氏とソフトバンク・孫正義氏の人生は、時系列こそずれるが数奇なほど似ている。ではソフトバンク・孫正義氏が2006年に英ボーダフォンの日本法人を買収した時はどうだったのか。週刊ポスト短期集中連載「最後の海賊」、ジャーナリスト・大西康之氏がレポートする。(文中敬称略)
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「いずれは売上高を豆腐のように1丁(兆)、2丁と数えるようにしたい」
1981年、留学先のカリフォルニア大学バークレー校から戻り福岡市博多区に「ユニソン・ワールド」を設立した孫は、みかん箱の上に乗り二人のアルバイトの前で演説をぶった。アルバイトの一人は「こいつ、大丈夫か」と心配になり、すぐに辞めた。
「僕は天才ですから」
まだ顔にあどけなさが残る20代の孫は、取引先を大ボラで煙に巻きながら、会社を大きくしていった。ソフトバンクがパソコン・ソフトの卸売り会社だった頃から「我々が情報革命を起こす」と風呂敷を広げ、大衆の期待を煽った。
孫のリスク感覚は常人離れしている。1996年に米フォックス・テレビなどを傘下に持つ世界のメディア王、ルパート・マードックと組んでテレビ朝日の買収に乗り出したかと思えば、2000年にはバブル崩壊で経営破綻した日本債券信用銀行(日債銀、現あおぞら銀行)の株式を取得して世間をアッと言わせた。
そんな勝負師・孫が仕掛けた一世一代の大博打が2006年3月のボーダフォン日本法人買収である。買収総額1兆7500億円。この買収を実現するため孫はボーダフォンの資産を担保にしたLBO(レバレッジド・バイアウト、買収先の資産やキャッシュ・フローを担保にした資金調達による買収)に踏み切った。11月にはこの買収資金を借り換えるため、ソフトバンクモバイルの全資産とキャッシュ・フローを担保にした事業証券化で1兆4500億円の資金を調達している。
リスクを恐れる金融機関は厳しい「財務制限条項」をつけてきた。ソフトバンクの携帯電話の契約者数が計画通りに増えなかったり、細かく決められた負債返済スケジュールやEBITDA(利払い・税引き・減価償却前利益)の目標値などが達成できなかったりすればソフトバンクの経営の自由度はどんどん制限されていく仕組みだ。
しかも、競争相手は長年、日本の携帯電話市場を支配してきたNTTドコモと、経営の神様、稲盛和夫が率いる伸び盛りのKDDI(ブランド名は「au」)である。ボーダフォンのネットワークは二強に比べれば脆弱で「つながらない携帯電話」と言われていた。
ここで孫は腹を括る。