何がなんでも契約者を増やさないと財務制限条項に抵触してしまう。ソフトバンクは10月、携帯の番号持ち運び制度、「番号ポータビリティ(MNP)」の導入に合わせて「通話料、メール代ゼロ円」などとうたった新料金プランを大々的に打ち出す。ところがこの新料金プランに対して、NTTドコモの中村維夫社長が「複雑怪奇な料金システム」と噛みついた。
その矢先、10月28日にはMNPで解約・登録手続きを処理するシステムに障害が発生して一時、新規受付を停止。30日には孫自らがシステム障害の謝罪会見を開き、同じ日に公正取引委員会に呼び出されて「ゼロ円」キャンペーンの説明を求められた。11月1日には「ゼロ円」を強調したテレビCMなどの修正を余儀なくされる。
この時の孫はまさに、生きるか死ぬかの瀬戸際にいた。ドコモとKDDIは明らかにソフトバンクを潰しに来ていた。かつては携帯電話会社を変えると電話番号が変わってしまうので、よほどのことがない限り、電話会社を変えることはなかった。しかしMNPの導入により、番号を変えなくても電話会社は簡単に変えられる。利用者は少しでも有利な料金プランに乗り換えようと躍起だ。最後発のソフトバンクは、少しでも手を緩めれば、あっという間に二強に顧客を奪われる弱い立場にあったのだ。
東京・箱崎のロイヤルパークホテルで開かれた記者会見の質疑応答で孫は、3時間にわたって延々と記者の質問に答えた。午後4時に始まった会見が8時を過ぎた頃、すまなそうにこう言った。
「申し訳ないが予定の時間を過ぎてしまったので会場を空けなければならない。追加の質問があれば電話、ファックス、メールで問い合わせてもらえれば必ず答える」
質疑応答で手を挙げ続けたが当てられなかった筆者は、オフィスに戻ると電話で質問をした。午後10時、オフィスのファクシミリが音を立て、ソフトバンクからの回答を記した紙をゆっくりと吐き出し始めた。回答の最後には「孫正義」という手書きの文字があった。
別の日、個別取材でソフトバンクの本社を訪れると、孫は会議室のホワイトボードにサインペンで基地局やアンテナの絵を描き、「つながらない問題」がなぜ起きているか、それをいつまでに、どうやって解決していくかについて、口角泡を飛ばして説明した。
会社の信用とはシーソーのようなものである。特にギリギリのリスクを取って大勝負をしている時、投資家や金融機関は疑心暗鬼に陥りやすい。誰か一人が「ダメかもしれない」と後退りすれば、均衡が一気に「破綻」へと傾く。シーソーが傾かないように、孫は自分たちのビジネスプランの正しさを世間に必死にアピールしたのである。
ソフトバンクの携帯電話事業がようやく軌道に乗ったのは2008年。アップルのiPhoneの国内独占販売を始めた時からだ。しかし孫は安住しない。2012年には米3位の携帯電話会社、スプリント・ネクステルを1兆5700億円で買収し、再び投資家や債権者をハラハラさせるのである。