ファミリーレストランの登場
敗戦から朝鮮戦争の特需を経て日本の所得レベルが上がり始めると、食生活はでんぷんから動物性たんぱく質消費へとシフト。1960年の所得倍増計画発表前後には、新しい食のニーズに対応したフランス料理や中華料理などの高級レストランが各地に出現し始める。『香雪社』代表で、食の専門サイト『Food Watch Japan』編集長の齋藤訓之さんが話す。
「そんな中、江頭匡一という実業家が『キルロイ特殊貿易』という会社を設立し、『ロイヤル』というフランス料理店を開業します。彼は1970年の大阪万博のアメリカ館にも、この店を実験的に出店しており、その経験を生かして1971年に開業させたのが、『ロイヤルホスト』でした」(齋藤さん・以下同)
日本人に洋食を身近にしたファミレス第1号は、1970年開業の『すかいらーく』国立店。すかいらーくグループはのちに、“多店舗展開”でファミレス業界を牽引するトップカンパニーへと成長していく。
「実は1960~1970年代に『商業界』(日本の小売・流通業向けに出版やセミナーなどを行っていた出版社)や『柴田書店』の外食セミナーを受講した起業家が相当数いたそうです。そうした人材が、のちに日本の外食の担い手になっていった点も見逃せません」
米国ファストフードの日本参入
外食元年である1970年は、日本人の食生活が様変わりした年でもある。その象徴である米国のファストフード店が、日本に初登場したのは、大阪万博に出店した『ケンタッキーフライドチキン(KFC)』だ。
1969年の第二次自由資本化という規制緩和で、自由化の対象に外国資本の外食も入り、米国ファストフードチェーンの日本参入が可能になった。
「米国で成功していたKFCは、大阪万博に出店した実験店でも好調な売り上げを記録。翌1971年には名古屋に郊外型ショッピングセンターの1号店を出店し、華々しくデビューを飾るはずでしたが、実際は予想外の大苦戦。郊外を狙うには時期尚早だったのです」(齋藤さん)