【最後の海賊・連載第6回前編】携帯電話事業で鎬を削る楽天・三木谷浩史氏とソフトバンクの孫正義氏。ともに既得権益を壊し、世界に打って出る“海賊”起業家だが、常に先行してきたのは7歳年上の孫氏だった。しかし、そんな2人が同じ年に参入した事業がある。「プロ野球」だ。週刊ポスト短期集中連載「最後の海賊」、ジャーナリスト・大西康之氏がレポートする。(文中敬称略)
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9月10日、ペナントレースも佳境を迎えたこの日、パリーグ首位の千葉ロッテマリーンズと3位、東北楽天ゴールデンイーグルスの試合は、“令和の怪物”ことロッテの高卒2年目、佐々木朗希と楽天の大エース・田中将大がともに好投する緊迫した展開が続いたが、2対2の同点で迎えた9回裏、ロッテのレアードがサヨナラホームランを打って劇的な幕切れとなった。
田中はまたしても勝ち星を逃した。シーズンはじめの怪我で出遅れた田中はここまで4勝5敗だ。
2013年、リーグ戦24勝無敗、防御率1.27という前人未到の大記録を打ち立てて楽天を日本一に導いた直後、アメリカに渡った田中。名門ニューヨーク・ヤンキースでも最初のシーズンから6年連続で二桁勝利をあげるなど、MLB(大リーグ)を代表する投手に成長した。
8年ぶりの日本のマウンド。思うような成績をあげられていないが、それでも田中がマウンドに立つと敵地でもスタンドは盛り上がる。コロナによる入場制限や応援制限があるものの、ホームの楽天生命パーク宮城では勝っても負けても田中に大きな拍手が送られる。東日本大震災で傷ついた東北の人々に、日本一の夢を見せた田中の人気は今も健在だ。
楽天野球団社長の立花陽三は言う。
「開幕当初、マー君グッズの売れ行きはすごかった。怪我による出遅れと、コロナの入場制限がなければ、グッズの売り上げだけで年俸の6~7割は回収できていたかもしれない」
田中の年俸は推定9億円。グッズ販売でその7割を回収するというのだから人気の凄まじさがわかる。巨人のエース・菅野智之の8億円を上回る日本球界最高の年俸で田中を迎え入れた楽天。「いこう!」と最後に決断したのは、楽天グループ会長兼社長の三木谷浩史だった。
三木谷と田中には数々のドラマがある。田中の活躍で楽天がリーグ優勝に向かって爆進していた2013年、狂喜乱舞するイーグルスファンの知らぬところで田中の代理人はヤンキースとの交渉を進めていた。田中本人が強く望んでいたことだが、三木谷はすぐには同意しなかった。
シーズン82勝の約3割にあたる24勝をあげた大エースを手放せば、連覇は難しくなる。だが三木谷が田中のメジャー行きを渋った理由は別のところにあった。三木谷はNPB(日本野球機構)とMLBの間の取り決めであるポスティング制度に異議を唱えていた。この制度に従えば、ヤンキースが楽天に支払うポスティング・フィー(移籍金)は2000万ドル(約20億円)が上限になる。
「日本最高の選手の移籍金が20億円では、日本のプロ野球がメジャーリーグの下請けになってしまう」