三木谷が指摘した通り、2013年に改定された新たなポスティング制度は、日本の優秀な選手をMLBが買い叩く“不平等条約”に近いものだった。
最初の「日米間選手の契約に関する協定(ポスティング制度)」が導入されたのは1998年。MLBの各球団が選手との独占交渉権を入札で獲得し、交渉が成立した場合、選手が所属する日本の球団にポスティング・フィーが支払われることになった。イチローや石井一久(現楽天監督)、松坂大輔、ダルビッシュ有らはこの形式でメジャーに移籍した。
この制度における入札金額は青天井。野茂英雄、イチロー、松井秀喜らの活躍で日本選手の価値が上がり、2011年にテキサス・レンジャーズに移籍したダルビッシュの落札額は約5170万ドル(約40億円)まで高騰。慌てたMLBは2012年、一方的に協定を破棄。2013年に新たに合意された制度で、譲渡金の上限を2000万ドルにした。つまり田中はダルビッシュの半額以下と評価されたことになる。三木谷は当時の取材で筆者にこう語っている。
「日本の選手がメジャーに行く時だけ移籍金に上限があるというのは、明らかに不平等。日本球界が一生懸命育てた選手を安く買い叩かれたのでは、プロ野球の夢がなくなってしまう」
結局、三木谷は田中の意思を尊重し、メジャー行きを認めたが、その後も不平等条約は続いている。前田健太、大谷翔平の移籍金にも上限が設けられた。年俸に上限はないため、選手が手にする年俸は上がっているが、有力選手を引き抜かれ放題の日本の各球団はたまったものではない。三木谷はこの理不尽さに怒ったのだ。
移籍が決まった後、三木谷は田中に一つだけ頼み事をしている。
「これは契約でもなんでもないが、できれば現役バリバリのうちに日本に戻ってきてほしい。日本のファンが待っているから」
田中も自分を育ててくれた東北のファンを忘れることはなかった。ヤンキース移籍後もオフで日本に戻ると、仙台の球場で自主トレに励んだ。
「本音はヤンキース残留だった」
田中は楽天への復帰が決まった後の取材でこう漏らしているが、ヤンキースのフロントは「田中の年俸で二人の有力選手を獲得できる」と田中との契約更新をためらった。
「帰ってこないか」